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ブログ 一覧 (2025年02月)

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2025年02月21日(金)

 1980年代の日本のマラソンは世界のトップにいました。瀬古、中山、谷口、そして宗兄弟です。

宗兄弟は茂と猛の一卵性双生児です。一卵性双生児といってもそのランニングスタイルはかなり違っていて、兄の茂は天才肌でおおざっぱの左利き。弟は努力家で研究熱心の右利き。茂は自分の感性に従って走り、猛はひたすら練習に励んでいた。二人が参加した大会では兄の茂の方が上回っています。兄弟で1,2位を争った大会ではすべて茂が勝っています。しかし自己記録は弟の猛のほうが上回っています。

兄はピークが過ぎた1987年に引退したが、それ以後も猛は現役を続行して1996年の別府大分マラソンで8位になったのを最後に引退しました。

ヴィネが注目したいのは、茂はストライド走法で猛はピッチ走法ということです。猛が現役を長く続けられたのはピッチ走法だったからではないのか?

なぜそんなことを考えるようになったのか?

ヴィネは2年前に館山で両ハムストリングスの肉離れを起こしました。そして昨年11月には練習中に起こしました。そして今年の勝田でもやっちゃいました。さすがにこれはまずいでしょう。ラン友から情報をもらい、「繰り返すハムの肉離れは四頭筋が強すぎるからじゃないか?」という専門家の意見を見ました。確かにヴィネの四頭筋は太いです。しかしランニングするときは四頭筋ばかり鍛えるわけじゃなくハムだって鍛えます。その繰り返しで、四頭筋だけ筋力が増すことってあるんかいな?

もやもやした思いで走っていて、ふとある考えが浮かんできました。
「強く膝を前に出すストライド走法はハムに強い伸展の負荷をかけて、切れちゃう(肉離れる)のではないか?だったらピッチ走法がいいのではないか?」

思い立ったら吉日です。すぐに走法を変えました。何となくストライド走法の方が速く走れる気がして、気が付いてみれば思いっきりひざを前に高く上げて走っていたような気がします。「ピッチ走法はちょこまかして帰って疲れそう」と思っていたけど、実際ピッチ走法をやってみると、疲労度は少なく、かといってスピードは落ちないことに気づきました。それ以降ピッチで練習しています。茂から猛になった瞬間です。

茂と猛は名前からすると、猛があまり考えずに勢いで走るような印象があり、茂はじっくり考えて練習を積むような印象がありますが、逆なんですね。

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10月の水戸マラソンの後、比較的好調でしたが11月9日の昼ランの時にハムに突っ張り感を感じました。そこですぐにやめればいいのに、ペースを落して3,4キロ走ったら本格的に肉離れを起こしてしまいました。
この回復がかなり長引いて結局12月1日のいすみマラソンは断念せざるを得なくなりました。いすみといえば昨年好記録を出し、68歳のハーフマラソンランキングでダントツの1位の記録だったのです。
年末から年始に練習を積んでいったところが、なんと1月9日にコロナに感染してしまいました。その前日深夜にのどが痛かったのを、夜通しのはちみつ治療で何とか違和感まで改善させて、30キロ走ったのがよくなかったのか?ひたすら寝て治療に専念。しかし寝たきり生活の代償は大きく、スピードが上がりません。不安は増すばかり。26日は勝田マラソンです。
何とかしてスピードがどの程度出るのか確認したい、そこでレース4日前なのにペース走を企画。
「キロ4分30秒でどの程度走れるのか知りたい」
1月22日気合を込めて家を出ました。しかしスタートして1.4キロで大転倒、両手右膝右ひじなど血だらけになり、痛みのためしばしその場を動くことができませんでした。コースはあまり車の走らない細い道で、地震の影響かアスファルトの表面が平らでなくうねっています。そこに足をとられたと思われます。いったん家に帰ることも頭をよぎりましたが時間がもったいないので、我慢して血を流しながらそのまま30キロ走りました。ラストは4分30秒まで上げられて、そこそこにペースは上げられたと一定の評価。

 

 

 

 

 

 

 

 

勝田マラソンレース当日、風が強く気温も低め。特に前半は向かい風中心で中々スピードが上がりません。それでもキロ4分45秒ペースで行けます。これから向かい風になれば4分30秒で行けるだろうと思ったその矢先、なんとまた左ハムに違和感出現。急にツッパリ感から痛みに変化してスピードが一気にダウン。くしくも2年前に館山で肉離れ起こした時と同じ17キロ地点でした。

こうして勝田もリタイア。もうヴィネの2025年は最悪のスタートとなったのです。

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