GWを利用してフィリピンに墓参りに行ってきます
ヴィネは学生時代にフィリピンのパラワン島に3回行っています。目的は山岳民族に会うためです。
「なんで?」
と思う方がほとんどでしょう。
山岳民族に合う目的は、彼らと生活をすることによって、自分が持っている固定概念を見直したかったのです。彼らは便利な(これは現代人の視点で、彼らはそれを自覚していない可能性が高いですが、)文明機器を使わずに、不便ながらも自然の中で自然と共生しながら生きています。我々は人工的なものに囲まれて、快適な空間を作り出し、時に自然を疎ましく思って生きています。「自然だなあ」とか「自然が一番だよ」とか言っても、それは人工的な空間にすぐ戻れる環境にいるからだと思っています。
山岳民族との生活の詳細についてはあまりにも長くなるので語りませんが、これがウイリアムさんと知り合うきっかけとなったのです。マニラのユースホステルで知り合ったビルというアメリカ人が「パラワンに行くならウイリアム(アメリカ人)に助けてもらえばいい」と紹介されたのです。
たまたま夕食時の突然の来訪者にウイリアムは快く受け入れてくれたのです。当時の彼の家は藁ぶき、でわずか10畳程度の居間とキッチンがあるだけでした。ここに幼い娘4人と息子一人の7人家族で住んでいたのです。頼りないランプの明かりを頼りにおそらく自分たちの食べる夕食を私に提供してくれたのです。
彼は山岳民族の言葉を話し、彼らとの交流もあったので、とても助けになりました。3回の訪問で特にお金を要求するわけでもなく、ヴィネは帰国後に子供たちに電池で動くプラレールのようなものをおくったり、セイコーの時計をプレゼントしました。
ヴィネは医者になると、多忙になり次第にフィリピンに行ったことを思い出すことがなくなり、音信も不通となりました。
ことが動いたのはフェイスブックに登録してしばらくしてからです。デン・ウェイクフィールドという人が「知り合いですか」のリストにあり、しばらく躊躇したのに「あなたは以前ケソンというところに住んでいて、お父さんはウイリアムという名前でで、お母さんはアニタという名前ですか?」とメールしました。すると即座に返信があり、「そうです。私はそのとき4歳でほとんど覚えていませんが、父が生きていた時あなたのことを話していた。だから私はあなたをフェイスブックで探していたのです」というのです。私はそれを聞き激しく後悔しました。全く知らない突然に訪問者を快く迎え入れ、私の活動に無償の協力を提供してくれたウイリアムに対して不義理を詫びました。
彼は私からの連絡がないながらも「ジュンはおそらくアメリカで医者をやっているんだろう」と話していたそうです。
「2015年に心筋梗塞で他界した彼の墓参りをしなければヴィネは一生後悔する。墓参りがヴィネができる唯一の恩返しだ」と思ったのです。
というわけで29日から5月5日までフィリピンに行ってきます。暑すぎて走れるかどうかわかんないけど、一応ランニングの道具は持参します。