左から
一応、玄関先で見張り。
一度も吠えることなく
そのうち眠くなる
千葉県市原市 外科 内科 皮膚科 アレルギー科 婦人科 スポーツドクター 食習慣・運動習慣改善指導
今までの 新着情報 の一覧です。
左から
一応、玄関先で見張り。
一度も吠えることなく
そのうち眠くなる
ヴィネが食事の準備しているとき
左から
1,ヴィネの横で正座して待つ。いい姿勢です。
2,疲れたから伏せる
3,顎も上げてるのが面倒なので床につける
4,左手をまげてさらにリラックス
なお、この日は滑り止め付きの前後左右区別のない手袋と靴下をはいています。
久しぶりのランニング関連記事です。
今日はまだ5月のからっとした天候の恩恵がありました。最近膝の調子がいいので20キロ走に挑戦しました。
直近で20キロ走ったのはいつだったろう。おそらく膝のオペの前じゃないだろうか。とすると4年も前のこと・・・。
キロ6分弱のペースでスタート。以前は1キロ当たりで右ひざ裏が締め付けられる痛みが生じたのですが、それはなくなっていることはこれまでの練習ですでに実感しています。
5キロ当たりでわずかに膝裏に違和感。しかしそれは悪化することなく進みます。9.7キロで折り返し地点。
お、なんですか、このブリブリと太った桑の実は!たわわに実っているじゃありませんか。普段ヴィネがアンディの散歩のときに時々つまんでいる桑の実に比べて数倍も大きいです。しかし誰も興味を示さないとみて、足元にはぼとぼと黒い実が落ちています。
ヴィネの人差指の第一関節くらいの大きさです。さぞかしジューシーでおいしいのではないでしょうか。ためらうことなく口にしてみました。
「ん?」「んんん??」
あんまり味がしません。いつもの桑の実の甘酸っぱさがありません。ほんのわずか甘いといえば甘い。が、酸っぱさはない。ううん、これでは持ち主も収穫する気にならないですなあ。まあでも、桑の実もこんなに大きくなるのだ、ということが分かっただけでも、今日のランの収穫があったというものです。
ということでランに戻りますが、膝裏の違和感が悪化することなくきましたが、臀部の筋肉がちょっと張ったような痛みが出てきました。それでもスピードが落ちることなく、とは言ってもキロ6分ですからね。
ゆるジョグですが、久しぶりの20キロのランが無事終了して満足です。
またランをした後の飯のうまいこと。10キロ程度じゃこの満足感は味わえないですわ。
基本的に外ではマスク外してよい。
室内でも講義を聴くだけの場合は着用を義務付けない。等々
新たな着用基準は、コロナ感染経路を考えれば当然で、やっとですがヴィネとしては受け入れられるものでした。さて一般の人にとってはどうなのでしょうか?
ラジオでコメンテーターやゲストらが話している内容を引き合いに出して考えてみます。話題ははじめはロシアのウクライナ侵略で、その後新マスク基準です。
「どうしてロシアの人たちは国営放送の内容しか信じないんだろうか?海外に住んでいる友人や親族から、ウクライナの一般人が大量に犠牲になっているというのに、軍事施設だけ狙って攻撃しているなどというロシアのプロパガンダをよく信じられるものだ。」など、ラジオ出演者全員が「日本人から見ればロシア人の頭の中は全く理解できない」といった反応でした。
ここで話変わってキャスターが「新たなマスク着用基準が出されたことに、皆さんどうですか?」とゲストに質問してみると、「いやーまだ安心できないなあ」「急に言われても、だいぶ慣れちゃったし」「すぐにっていうのはなあ、(子供たちの着用に関して)半分くらいが外したら自分の子供にも外していいって言おうかなあ」
ロシアの侵略に関しては、「国営放送に惑わされず、正確な情報で自らの頭で正義を判断する」という内容の立派な発言しておきながら、マスク新基準については「周りの様子を伺いながら判断する」という。なんて典型的な日本人の思考回路でしょうか?
「わきまえていらっしゃる」発言でオリンピック組織委員の会長を下ろされたMの記憶はまだ新しいです。この問題では、自分の意見を言わず、周りの雰囲気に合わせて行動することを強要することに、社会は反発したわけですが、ところがどっこいみんな周囲の目を気にしてばっかじゃないですか。
第2次世界大戦の時も、日本人のほとんどは戦況が悪くなっても大本営の嘘の発表を信じ続けたわけですよ。「当時はSNSなんかがなくて他から情報が入らなかったからだ」なんて言い訳はダメですよ。今いくらでも海外の情報は入ってきて、外では(一部の国では室内でも)マスクをしてない国は多いことは誰でも知っています。なのに、新基準が出ても日本人は周囲の目を気にしているわけですよ。
民放で東京の繁華街でどれだけの品減がマスクをつけていないか、をAIで判断する番組を見ました。
なんてあほな番組だろ言うと思いましたが、TV局の意図を知るためにしばらく見てました。MCの語調はマスクなしの人に対して批判的なものを感じました。さらにマスクつけている人に
「マスクつけていない人をどう思いますか?」と質問
「信じらtれないですよ。なるべく避けて通ろうと思います」という発言。これを予期しているとしか思えません。中には「いいんじゃないですか。暑いんだし。そこは個人の判断で」てな発言はあっても握りつぶしているでしょう。
またあごマスクの人にインタビューして
「いや、まあいいかなと思って、暑いし。でも建物に入るときにはちゃんとつけようと思ってます」とすまなそうに話す姿を流しています。
別の番組で「アンケートでは4割の人が外でマスクをつけたくない」という報道もありましたから、もっと「外ではマスクつけたくない」という人のインタビュー反応もあったに違いありません。ちなみにAIの判断でマスクしてない人は数%でした。
ヴィネも実はマスクなしの人を観察しています。朝のアンディとのランの最中です。1時間弱のランで見かけた人の中で何人がマスクをしていないか見ています。単にゴミ出しにマスクなしで外に出たような人は除外です。あごマスクはマスクしていると判断しています。
今までは5.6人でしたが、今日は8人見かけました。今朝の報道で「外でのマスクの必要性は必ずしもない」と知ったからでしょうか?それでもバス停に並ぶときにはマスクをつけていました。
この数が10人になったら一人で祝杯をあげようと思っています。
ヴィネから見れば相当遅い判断です。
やっと専門家が「外ではマスクなくてもいい」との判断を下しました。しかし十分な距離(2メートル)をとって会話なしという、クソな条件付きです。
なぜクソかというと、現実にはほぼ不可能なことを条件にしてるからです。特に2メートル離れるのは考えれば無理なのは明らかです。ヴィネは普通の会話なら距離をとる必要はないと思っています。実際に、そとでマスクなしの人が不特定の人と2メートルの距離とって行動できますか?それをするには外出人数を制限しなければ不可能です。そしてそんなことを条件にするとまたマスク監視警察みたいなのが出てきます。
外マスク解禁の判断が、専門家の中から出てきたものではなく、外からの圧力で出されたというところに専門家のふがいなさがあります。政治家に突っつかれて判断したとは情けないです。
欧米では外ではマスクなしが当たり前。これから熱中症の危険もある。経済を回さなきゃいけないし、海外からの渡航者も増える。外人が「日本人はまだマスクつけているのかよ!!」といわれ非難されるのは避けたい。そんなところから出たマスク解禁です。
ヴィネは2020年夏から「外マスク不要論」を何度も発していましたが、どれもこれも反応なく、日本人の自己判断力のなさ、人の顔色見る態度、金太郎あめ性格、日和見、にはうんざりしています。
医療現場はもちろん、食品加工の現場でも今や薄手のゴム手袋はなくてはならない商品です。
機器の消毒は既に手術では当然行為になってました。しかし最後の難関として残ったのが医療者の手指の消毒でした。当時の強力な消毒薬に世tる厳重な手洗いでも完全に無菌化することはできません。いくら洗っても汗腺や毛穴にいる細菌は完全に無菌化できませんからね。そして厳重な手洗いによって手が障害を受けるのは当然のことです。
1889年、場所はボルチモアのジョンズ・ホプキンス病院のオペ室。看護師のキャロライン・ハンプトンは手洗いによる手荒れのひどさに悩んでいた。肌が赤剥けになって仕事ができないくらいでした。そしてついに退職を申し出たのです。
当時外科医長だったウィリアム・ハルステッドは彼女に目をつけていました。美しいだけではなく、有能でてきぱきと仕事をこなす彼女に仕事を辞められると、勤務する楽しみの一つが奪われるようでした。(この部分は勝手なヴィネの想像)
これからが彼が普通の男と違うところです。凡人だと、単にやめていく彼女に「俺と暮らさないか」程度のことしか言えません。ところが彼はグッドイヤー・ゴム会社の友人に相談して薄手のゴム手袋を作るように依頼したのです。そして出来上がった手袋を彼女にプレゼントしたのです。
彼のこの行為が彼女の心を揺さぶらないわけはないです。さらに彼はのちに教授に上り詰め、乳がんの術式で近年までスタンダードだったハルステッドの手術を生み出したり、伝達麻酔の開発、レジデント制の確立など多くの功績を残したのです。
ヴィネが外科医だったころ大胸筋まで取っちゃうハルステッド法は標準術式でしたが、今では縮小術が主流で、ハルステッドが実施される機会は激減しました。ヴィネは当時「乳がんがそんなに大きくないのにどうして大胸筋まで取っちゃうのか」とかなりの抵抗を持ったことを覚えています。
コッホが病原微生物の発見に貢献したという話は知らなくても、彼の名前は多くの人が知っています。北里柴三郎もコッホのもとで研究をしました。
コッホは若いころは田舎町の開業医だったのですが、妻からプレゼントされた顕微鏡で実験をして炭疽病の病原体を発見しました。妻が顕微鏡を贈るということは、開業医ながらもとても研究熱心だったことがうかがえますねえ。
ところが当時の医学会は微生物の存在を認めていませんでした。そこでまたあのクソ医者ウィルヒョウが邪魔します。医学界に君臨していた彼は自分の地位が揺らぐことを危惧したのか、「たわけ田舎医者を叩き出せ」と言ったそうです。
しかし事実は誰もが認める確信的なものとなり、広く知られるようになり、パスツールからも高く評価されました。当然彼がいつまでも田舎医者でいるわけがありません。48歳で王立感染病研究所所長に迎え入れられました。この時ウィルヒョウは70歳。己の過去を反省したのでしょうか?
コッホの業績は外科医療にも多大な貢献をしました。術後感染が化膿菌によるものと証明されてからは無菌手術へと発展していったのです。
ゼンメルワイス(1818-65)はハンガリーの医師です。
百数十年前まではすべての傷は化膿するのが当たり前で、それは傷が治るための必須の過程と考えられていたのです。
28歳のゼンメルワイスはウィーン総合病院第一産科の助手の職に就いていた。彼の職場は大学医学部直属の最高医療レベル施設(のはず)でした。しかし産褥熱のまん延がはなはだしく、産婦の死亡率は10%にも及びました。つまり10人子供産んだら母親はなくなるのです。
ところが同じ病院の助産婦学校所属の第二産科では死者は多くても1%に過ぎませんでした。
ゼンメルワイスこの事実に驚愕しました。(ヴィネからすると彼以外がこの事実を問題にしなかったのがとても疑問です。それが権威構造社会の弊害なのだと痛感します。)彼は原因究明のため産婦を解剖しました。そして最終的に病毒が傷口から侵入して化膿するという結論に至ったのです。そして塩素水で消毒することを徹底して、死亡率が3%にまで改善しました。
しかし若かった彼がほかの医者に消毒を強制したことは先輩たちは反感を買いました。しかも当時は「すべての疫病は体液のアンバランスで起きる」という医学常識があったため、彼の病毒原因説は権威に対するあからさまな挑戦でもあったので、彼は最終的に病院から追放されてしまいました。
母国ハンガリーに戻ったゼンメルワイスはブダペスト大学の産科の教授になり、消毒の重要性を説いた本を出版しました。ところがここでもまた医学の権威が邪魔をします。ベルリン大学のウィルヒョウ(1821-1902)はチョー有名な病理学者です。ウィルヒョウのリンパ節を知らない医者は誰もいないくらい有名です。そのウィルヒョウがなどから彼は全面的に否定されました。
彼は次第に精神を病みウィーンの精神病院で47歳の短い生涯を閉じたのです。
微生物の存在は1672年にすでに報告されていました、1840年には膿汁中にも無数の微生物が存在することが報告されています。なのに化膿が微生物によるものと結びつけられるにはまだ時間がかかったのです。
まずはパスツール(1822‐1895)が生命が自然発生することはないことを証明しました。そして食品の腐敗は微生物によるものだと結論付けました。リスター(1827‐1912)はパスツールの研究からヒントを得てフェノールによって化膿や壊疽を防ぐことに成功しました(1866)。そして創傷の化膿が微生物のよるものと結論付けました。リスターの功績は高く評価され男爵にもなりました。
リスターはゼンメルワイスの存在を知りませんでした。イギリスの開業医デューカがゼンメルワイスの伝記を著したことで、リスターは彼の存在を知り、ゼンメルワイスこそ真の消毒法の創始者と主張したのです。
ゼンメルワイスもウィルヒョウもパスツールもほぼ同じ世代です。リスターだけがこの3人より少し若いです。ゼンメルワイスは不遇の医師ですねえ。パスツールがゼンメルワイスの存在を知っていれば、そしてリスターがもう少し早く実験に手を付けていれば、と悔やまれます。今の時代は情報がすぐさま世界中に伝わりますからこの問題は解決できるでしょう。
しかしウィルヒョウのような権威の頂点にいる人間が、斬新でこれまでの常識を覆すような考えに触れたときに、それを素直に受け入れるかと言ったら、現代でもそれは難しいと言わざるを得ないでしょう。
ヴィネの「NHKは国民を救う」も闇に埋もれる運命なのかもしれません。
キズの治療は、まずきれいに洗って軟膏をつけてガーゼや包帯で覆う。血管からの止血は糸で結紮する。
今では当たり前のこれらの処置は、ある一人の床屋医者の発案で生まれたのです。彼の名はアンブロワーズ・パレ。
床屋医者とは、正規の医学教育を受けていない医者で、正規の医学教育を受けた医者の指示のもと、直接患者に触れて処置をする医者のことを指します。中世のヨーロッパでは医者は権威の塊で、ブラックジャックのようなローブを着て威厳を保ち、薬の調合や処置を支持するだけでした。血や膿などに触れる外科的処置は「卑しい手仕事」として床屋医者にゆだねられていたのです。
そして当時のキズの治療は信じられないほど残酷なものでした。例えば大砲の砲弾による挫滅創は、「火薬の毒」による作用と考え、創面に煮立った油を注ぐとか灼熱した焼きごてを当てるなど、熱を加えることでした。当然患者は発熱し痛みに苦しみました。それを床屋医者は、正規の医学教育を受けた医者の指示のもと固く守り続けたのでした。
トリノでの戦場でパレは、多くの負傷兵の処置に追われていました。そして「火薬の毒」を消すための油が底をついてしまいました。仕方なく彼は卵黄を食用油などで練ってそれを傷口に塗ったのです。ところが翌日になると焼きゴテや煮立てた油で治療した患者に比べて、彼が即席治療をした患者たちの方がはるかに良い状態で痛みも軽かったのでした。
それから彼は現代のキズの処置につながる方法を確立していったのです。彼の卓越した技術と愛護的処置方は広まり、王侯貴族の間でも有名になり、フランス国王の侍医になったのです。当然権威ある医師たちの猛反発を食らいましたが、その後彼は4代にわたって国王からの信頼に応え続けました。
パレはとても謙虚な人間で、自ら体験した知識や技術を惜しみなく伝えました。そして彼の著書は平易なフランス語で書かれていて、多くの床屋医者にも理解できるものでした。当時の医学書は権威を保つためにラテン語で書かれていて、高級な専門書はラテン語で書かれるべきだと信じていた教授陣は「権威を貶める所業だ」と猛烈に非難し出版差し止めの訴訟まで起こしたのです。しかし医療現場でンお有用性は疑う余地がなかったので、彼の本は飛ぶように売れたのでした。彼の書籍は各国語に翻訳され、日本の蘭方医にも伝えられることになったのです。
以上は松本歯科大名誉・特任教授の笠原浩氏のある雑誌への寄稿を抜粋しました。
現在の外科処置の基本は床屋医師のパレの功績によるものですが、パレの名はほとんど知られていません。おそらく今の医者のほぼ全員が、外科処置は長い医学の歴史の中で医者たちがいろんな苦労をして積み上げてきた技術なんだ程度にしか理解していないと思います。正規の医学教育を受けた医師の敗北の歴史など絶対に教えていないです。
脚気の原因についても日本の医学の権威は栄養原因説を否定し続け、多くの戦士を脚気死に追いやりました。時代は変わっても権威主義の医学会は過去の失敗から何も学べませんでした。
しかしこれは医学に限りません。特に威厳を誇りたい職種に共通して見られる現象です。政治家がその典型です。大統領や首相など大物の政治家に限らず、市議会議員程度でも決して自分の過ちを認めません。
もし身近にこんな人間がいたら、絶対に友達になりたくないと思うのですが、なぜかこの手の人間は死滅しません。それどころか選挙では指導力があると評価されてトップに上り詰めます。プーチン、トランプ、習近平、マルコス、多くの指導者がこの手の人間です。他国のことだと安心しないでくださいね。