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新着情報 一覧

今までの 新着情報 の一覧です。

今年の台風は関東地方を直撃するタイプが多いです。

8月16日の台風は2019年の千葉県を襲った台風並みの超強力な台風との報道で、ヴィネは煙突カバーを取り付けることにしました。というのも2019年の台風では煙突がぶるぶる揺れて、煙突を伝って雨漏りしましたから。

 脚立使って屋根に上ります。左手には自作の煙突カバー。作るの結構大変だった。材料は人工芝買ったときに包んであったブルーシートのような素材の物。

右手には座布団。というのも、金属でできた煙突のトップに腹ばいになるので、暑さ対策のためです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋根をどんどん上っていきます。結構高いです。 屋根上るのは結構慣れていますが、ここ数年は登っていませんのでフレッシュな気持ちです。

 

 

頂上まで来ました

久しぶりの頂上制覇です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真では見えませんが、煙突に脚立を立てかけて上まで登りました

予め採寸していたので、ぴったりカバーできました。テープは養生テープがいいかんじでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出来上がり!!!

遠景です。なんかおとぎの国に出てきそうです。楳図かずおの家ほどではないけどね。

昨年度のハーフマラソンランキングでヴィネは1位になりました。
1時間31分11秒はなかなかいい記録だと思います。2位に1分以上の差をつけています。このころの月間走行距離は400キロくらいで、そのくらい練習すると比較的満足な記録を得られることがわかっています。いすみマラソンでは年代別で3位に入りました。

ちなみにフルのランキングは5位でしたが、この時も走行距離は400キロ程度でした。500キロ以上走れば1位になれるのではないかと皮算用しています。

フィリピンへの旅の大きな目的は学生時代に世話になったウィリアムさんの墓参りでした。生前に再会できていればよかったのですが、それができていなかったのは、ヴィネの「お世話になった人達」への感謝の気持ちの欠如が原因です。

ヴィネはこの事実を強く反省して、これからは感謝の気持ちを忘れない生き方に舵を切ることにしました。実はこの思考回路が認知症を防ぎ健康長寿を生きるのに重要なのです。

44年の時を経てやっとウイリアムに感謝の気持ちを伝えることができました。すでに彼がこの世を去って9年の月日が流れててしまいました。

1歳刻みマラソンランキングの昨年度の結果でヴィネは5位になりました。

 

佐倉マラソンはフラットなコースではないことと、練習量が物足りなかったことを合わせれば、今年度は1位を十分狙える位置にいます。

右ひざの脛骨高位骨切り術という痛そうな名前のオペを受けて6年で完全にランに復帰できたと実感しております。

 

オペを受けた当初、整形外科医は「元のように走るのはちょっとねえ・・・」と言葉を濁していましたが、要はやる気ですよね。

GWを利用してフィリピンに墓参りに行ってきます

ヴィネは学生時代にフィリピンのパラワン島に3回行っています。目的は山岳民族に会うためです。

「なんで?」

と思う方がほとんどでしょう。

山岳民族に合う目的は、彼らと生活をすることによって、自分が持っている固定概念を見直したかったのです。彼らは便利な(これは現代人の視点で、彼らはそれを自覚していない可能性が高いですが、)文明機器を使わずに、不便ながらも自然の中で自然と共生しながら生きています。我々は人工的なものに囲まれて、快適な空間を作り出し、時に自然を疎ましく思って生きています。「自然だなあ」とか「自然が一番だよ」とか言っても、それは人工的な空間にすぐ戻れる環境にいるからだと思っています。

山岳民族との生活の詳細についてはあまりにも長くなるので語りませんが、これがウイリアムさんと知り合うきっかけとなったのです。マニラのユースホステルで知り合ったビルというアメリカ人が「パラワンに行くならウイリアム(アメリカ人)に助けてもらえばいい」と紹介されたのです。

たまたま夕食時の突然の来訪者にウイリアムは快く受け入れてくれたのです。当時の彼の家は藁ぶき、でわずか10畳程度の居間とキッチンがあるだけでした。ここに幼い娘4人と息子一人の7人家族で住んでいたのです。頼りないランプの明かりを頼りにおそらく自分たちの食べる夕食を私に提供してくれたのです。

彼は山岳民族の言葉を話し、彼らとの交流もあったので、とても助けになりました。3回の訪問で特にお金を要求するわけでもなく、ヴィネは帰国後に子供たちに電池で動くプラレールのようなものをおくったり、セイコーの時計をプレゼントしました。

ヴィネは医者になると、多忙になり次第にフィリピンに行ったことを思い出すことがなくなり、音信も不通となりました。
ことが動いたのはフェイスブックに登録してしばらくしてからです。デン・ウェイクフィールドという人が「知り合いですか」のリストにあり、しばらく躊躇したのに「あなたは以前ケソンというところに住んでいて、お父さんはウイリアムという名前でで、お母さんはアニタという名前ですか?」とメールしました。すると即座に返信があり、「そうです。私はそのとき4歳でほとんど覚えていませんが、父が生きていた時あなたのことを話していた。だから私はあなたをフェイスブックで探していたのです」というのです。私はそれを聞き激しく後悔しました。全く知らない突然に訪問者を快く迎え入れ、私の活動に無償の協力を提供してくれたウイリアムに対して不義理を詫びました。
彼は私からの連絡がないながらも「ジュンはおそらくアメリカで医者をやっているんだろう」と話していたそうです。

「2015年に心筋梗塞で他界した彼の墓参りをしなければヴィネは一生後悔する。墓参りがヴィネができる唯一の恩返しだ」と思ったのです。

というわけで29日から5月5日までフィリピンに行ってきます。暑すぎて走れるかどうかわかんないけど、一応ランニングの道具は持参します。

そろそろヴィネも69歳になります。69歳というのはランニングのくくりでは60代最後の年になります。その後70台というくくりがなくなる大会もあります。年とともに次第に年代別順位で上位に入ることが難しくなるわけです。

しかし昨シーズンはいすみのハーフで期待以上の3位に入りました。その後の失敗レースでも意外や5位でした。多少準備した佐倉マラソンでも5位でした。思うんですが、ヴィネはこれらのレースに備えてどれだけのことをやったのか?
はっきり言って大したことしていません。月間走行距離だって400キロなんて走っていません。昔は500,600走っていたのだから、それより記録落ちるのは年を取っただけじゃないっていうのは当たり前です。
筋トレもやっていません。ストレッチも大したことやっていません。

となると、「もっと練習して筋トレストレッチも取り入れれば69歳で年代別優勝はトーゼンゲットできるのではないか」という仮説は誰だって立てられますよね。

そこで今シーズンの目標は「どこかの大会で年代別で優勝する」にしました。
このどこかの大会を、地方のすごくこじんまりした大会にはしませんよ。ハーフなら1時間27分くらい出さないと1位になれない大会。フルなら3時間3分以内、もしくはサブスリーでないと優勝できない大会としましょう。

大きく出ましたねえ。いいんでしょうかこんな豪語して。
大丈夫です。今年のヴィネはモチベーションが違います。つらい練習をやり遂げられる気になってきました。

さくらマラソンの写真がオールスポーツから提供されました。サンプルを見たんですがあまりいいポーズでの写真じゃないので購入はしませんでした。

そのサンプル写真でヴィネの太ももを見てがっかりしました。

「細すぎ!!!」 しかもツヤがない。

もともと173センチに70キロくらいの体重で、とてもランナーとは思えない高体重。絶対痩せていたほうが記録はよくなるはず、と減量を心がけたのが10年位前でしょうか?減ったり増えたりを繰り返して徐々に低下してきましたが、目標の64.5キロにはなかなか達成しませんでした。

ところがこの1年、順調すぎるくらいに体重が減ってきました。最近は「そこまで減るかよ!」と待ったをかけたいくらいです。心当たりは食事量の低下です。
ヴィネが患者さんに提案する「腹7分目」って結構ハードルが高い目標です。ところがヴィネ自身7割で全然満足なのです。すると体重は順調に減っていって昨夏には65キロを達成、その後も減って目標の64.5キロをも達成。
この1年練習量は物足りないくらいなので、筋肉も落ちたなあという印象もありました。

そしてレースの写真を見て「え?これが俺の脚?」

ツヤがないのは痩せて皮膚にたるみが出てきたためか?

あの毛ガニのふとももをもう一度!(これを理解できない人は昔のブログを全部読み直してください)

そう思ってちょっと食べる量を増やしましたが。そうすると次の食事の前に空腹感が来ません。時間で食事をするという肥満の道へ進んでいる気がしました。しかし昨夜体重測定したら63.5キロ!

練習をきちんとやったうえで食事を十分とって、という正しいエネルギー循環を取り戻さないと・・・

昨日の患者さんとの会話です

「認知症にならないようにするにはどうしたらいいでしょうかね」
「日々感謝の気持ちで暮らすんですよ」と患者さんの前で合掌してお辞儀をする私。さらに
「センテナリアン(百寿)の方へインタビューした番組がありましたが、みんな口をそろえて周りへの感謝の気持ちを伝えていたんですよ。百歳になってから周囲へ感謝するなんておかしいですから、もう今のうちから周囲に感謝をする練習をすれば、認知症ではないセンテナリアンになれるんじゃないですか」と付け加える。
「感謝ですか・・・」
「そうです、感謝です(キッパリ)。若い時はイケイケで突っ走って生きてきましたが、もう50過ぎたら、自分がこうして生きてこられたのはあなたがたのおかげです。正しい食事ができたのもあなたのおかげですし。庭の畑にも感謝です。『お庭さんありがとう』(この辺りから患者さんが笑い始める)と感謝をする訓練をしないといけません。そして施しもできればしたいですね」と、再び合掌してお辞儀する私

「お、俺今日いいこと言ったなあ、なんか牧師さんになったみたい。これは当院の『腸より始めよ』『サラダは空気』並みのコピー(文案)にできるねえ。でも『認知症予防には周囲への感謝の気持ち』じゃストレートすぎて面白くないね。なんかひねりが必要だわ」

と、その場は診察室には似合わない患者さんの大笑いで終わりました。

その後頭に浮かんだのがタイトルのコピーです。

50過ぎたらここまで生きてこられたことへの感謝(サンクス)と周囲への施し(ギビング)をするのです。その気持ちの積み重ねが認知症を防いで健康なセンテナリアンになるのです。アーメン

佐倉マラソンの結果です

3時間13分46秒 (ネットで3時間13分38秒)

総合275位 年代別5位

12300人参加したようですので、22.4%に入りました。昔は上位5%くらいに入っていたので、それを思うと時の流れをひしひしと感じます。

この結果へのヴィネの満足度は80%です。
2か月前の勝田で前半突っ込みすぎで後半激しく落ち込み、精神的に大きく落ち込みました。その後のハーフも練習不足もあってクソのような成績。勝田の後筋肉痛が3日も続き、練習なのに筋肉痛を感じたり、なかなか体重が増えず、筋肉量が減ったんじゃないか?いわゆるこれは老化??このまま坂道転げ落ちていくのでは??そんな恐怖心が頭をよぎりました。

今回そこから復活するような走りです。成功のカギはイーブンペースでした。勝田の前と今回の前の練習量はわずかに今回の方が多かった程度で、練習量から考えたらせいぜい3時間20分程度かと思うのですが、とにかくキロ4分30秒を肝に銘じて走りました。後半ややスピードが落ちましたが、それは35キロなど長距離を練習に入れられなかったことが原因です。

副賞右からボディウォッシュ、UVクリーム、ゼリー、シークワーサーの脳活サプリ。

なぜか地元の特産物は一転もありませんでした。

お米が欲しかった!

 

 

この日に限らず、今年のヴィネが参加したレースはいずれもマラソン日和でした。3月は風が強かったり雨の日が多かったりで、なかなかいい天気には恵まれません。今日も西日本は雨で、つらいレースの所もあったでしょうが、千葉県は曇りで微風。気温も13℃くらいでしょうか。今シーズン最後のレースは悔いのないものにしたい。そういう思いで、心にはキロ4分30秒のイーブンペースを守ることだけを誓いました。

レース直後、コースは下り坂です。ここでスピードを出しすぎないように注意しました。今日の体調はそこまでよくもなさそうだったので、結果的にスピードオーバーにならずに済みました。その後また少し上って下がる。5キロ10キロとほぼ正確にキロ4分30秒で進みます。

ヴィネの前に3時間15分のペースランナーが3人走っています。しかしどう考えても速すぎです。もしかしたらキロ4分半はゴールタイム3時間10分じゃなくて3時間15分なのかと本気で頭の中で計算したくらいです。ペースランナーは正確なスピードで走ってもらいたいものです。

そのペースランナーを10キロで一人、15キロ手前で2人抜きました。15キロまではスピードが上がってこの5キロのラップが21分29秒と速すぎました。15キロ過ぎで結構大きな上りがあります。ここの1キロは4分48秒に落ちました。その後の長い下りで、その遅れを挽回しようと結構スピードを上げました。しかしそれが災いしたのか、この5キロのラップは23分45秒と遅れました。

ハーフは1時間35分16秒と、ゴールタイムで3時間10分切りは不可能(心の片隅には淡い期待があった)と思われました。25キロも30キロもラップタイムはキロ4分30秒ちょっとと遅れが出てきました。やはりあの下りで飛ばしたことが原因か?そして脚に疲労を感じるようになってきました。やはり長距離を走っていないため脚の筋肉が長距離に適応できてないのでしょう。

と、その時、距離で言えば30キロ過ぎ、あのロッキーのテーマソングが流れてきました。確か前の大会でも聞いた記憶があります。ボランティアがランナーを勇気づけようと流してくれているのです。これには結構元気をもらえました。そしてその先で別のボランティアが「疲れてきたら腕を振って!!」とアドバイスしてくれています。
「そうだ、腕振りだったじゃないか!」
すっかり忘れていた腕振りを思い出して何とかキロ4分40秒程度で落ち込みを抑えることができました。

38キロ当たりで後ろが騒々しくなってきました。沿道の応援に大きな声で反応しているランナーです。一般ランナーはそんなタイムロスにつながることはしませんから。ペースランナーだと悟りました。

このころヴィネのゴールタイムは3時間13分くらいだと確信がついていたのですが、どうして3時間15分のペースランナーがヴィネの後ろにつくのでしょうか?彼らを当てにしているランナーはオーバーペースになっちゃうじゃないですか。

競技場の500メートル手前はきつい上りです。ここはペースがガタ落ちしましたが必死の思いで走りました。

そしてゴールは3時間13分46秒。実はガーミン(GPS付きのスポーツウォッチ)はヴィネの走った距離は42.5キロで300メートル長くなっています。レース中もはじめから公式の表示とガーミンの距離表示ではずれがあって、次第にそれが大きくなり最終的に300メートルも違っていました。ガーミンの42.195キロならヴィネの記録は3時間12分15秒~20秒くらいでした。

因みに60台の優勝記録は3時間4分台で、来年狙えないタイムではないと思いました。