ランニング中に立ち寄った公衆トイレの中の表示です。
「拾う」と「捨てる」の漢字はよく間違われますね。公の目につくものを作る人は事前にちゃんとしらべないとねえ。でもこの作成者は自信があったんでしょうね。だから作成中に不安にならずに堂々と間違っちゃったんです
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ランニング中に立ち寄った公衆トイレの中の表示です。
「拾う」と「捨てる」の漢字はよく間違われますね。公の目につくものを作る人は事前にちゃんとしらべないとねえ。でもこの作成者は自信があったんでしょうね。だから作成中に不安にならずに堂々と間違っちゃったんです
12月15日に香取小江戸マラソン(10キロ)に参加しました。
結果だけ言えば46分40秒(ネットで46分31秒)。満足度で言えば「満足!」
11月9日に肉離れを起こし、その回復状況がよくなく、昨年年代別で3位に入り1歳刻みハーフマラソンランキング1位となった、思い入れのあるいすみマラソン(12月1日)はDNSせざるを得なくなりました。やっと少し走れるようになったのが10日前ですから今回のレースも不安だらけ。
まず練習していても肉離れをおこしたところの違和感が抜けません。キロ5分30秒を切ってくると、「またやるんじゃないか」といった不安が頭をよぎります。10キロを2回走り、「ゆっくりなら完走はできそう」といった印象を持ちました。しかし目標タイムは53分切り。調子よければ50分前後。
天候は晴れて風がなく気温も程よく冷え切ってマラソン日和でした。
香取神宮前を出て佐原市街をめぐって香取神宮に戻るコースで、スタート直後とゴール直前に急な上り坂があります。スタート直後はどうしてもスピードオーバーになりがちです。今回もキロ4分45秒ででました。上り坂は幸い長くはなくそれほど心臓バクつかず、最初の1キロは4分58秒。その後はほぼフラットでキロ4分45秒のイーブンで7キロまで行きました。その間太ももの違和感はほとんど感じられず、もう少し速くいきたい気持ちを押さえました。しかし46分台を出したいという欲が出てきて、ラスト3キロはペースアップして4分30秒を切るペースでゴールしました。
今回のレースを終えて、1月の勝田への望みがわきました。これから少し安心して練習を積み上げられそうで。最低でも勝田では3時間10分は切りたいという欲望がわいてきたのです。
レース後マッサージをすると、肉離れを起こした左のハムはレース前より痛みが増していました。ちゃんとケアしないとまた痛い目にあうぞと自分を戒めるのを忘れませんでした。
最近当院にかかられている方が、やけに私のランニングの歴史をご存じなので
「どうしてそんなにご存じなのですか?」と尋ねたところ、
図書館で借りているんですよ。市原の図書館にはなかったので、探してもらって君津の図書館にあったので、今借りて読んでいるところですよ」
とおっしゃるじゃないですか!
もう四半世紀前の名著ですが、捨てられずに細々と読まれ続けていたんですねえ(しみじみ)
「あの本のことはあまりにもすごいので、マネはできませんが、日常的に我々に役立つ方法はありませんかねえ」
とおっしゃるので、
「あんなことマネしちゃ体壊しますよ。役立つことはホームページに載せてあるからそれを参考にしてくださいね」
とお答えしました。
最近ヴィネは外来で多くの患者さんに歩くことを強く推奨しています。そして実践してくれる人はおおむね良好な反応を示します。中には
「いやー、歩くことは本当にいいですよねえ。気持ちがすっきりするし、日常動作も楽になりました」と、外来検査中にずーっと言い続けている人もいました。中には走りに目覚める患者さんも出てくるかもしれません。
水戸マラソンではまあまあの成績で、さらなる飛躍が期待できそうだったんですが、11月9日の練習中に肉離れを起こしてしまいました。
何か左のハムが突っ張っていて変だなあと思っていたんですが、ぴきっと痛みが走って「やっちゃった!」
肉離れといえば昨年の若潮マラソンで両太ももの肉離れを起こしたことを思い出します。あの時はハムのあたり内出血で悲惨な状況でした。今回は出血がなくそれよりは軽傷だと最初は思いました。そして昨年は1週間後に少しずつ走れるようになりましたので、それを参考に1週間でゆっくりと走り始めたんですが、そこでまた痛みに襲われたのです。そこで調べてみると、肉離れの中には血管が切れるのと、筋肉もしくは筋膜の損傷というのがあるのがわかりました。ということは内出血は見かけが悲惨ですが、それほど重症じゃないということになります。もちろん単純に血管が切れるだけではなく随伴して筋肉や筋膜にもある程度の損傷が伴うでしょうが。
今回の肉離れは結構重症でした。ずっと違和感が残ってストレッチもやったら危なそうなので何もできませんでした。そして昨日やっとゆっくりですが走ることができました。違和感もほぼなしです。
月の目標は2か月後ですから十分間に合います。人は何度も同じ失敗を繰り返します。そのたびに成長すればいいんですが、できない人が多いです。
10月27日水戸マラソンに参加しました。
結果は3時間26分13秒(ネットでは3時間25分58秒)。結果には一応の満足をしています。
今年の練習は本格的には9月からでした。9月は500キロ走ったのですが、とにかく暑くてスピードが出ず、キロ6分程度のランで、自分がどの位のスピードがあるのか自信がなくなりました。急遽1週間前の日曜に34キロ走を計画しました。キロ4分45秒で行こうとスタートしたのですが、次第にそのペースが落ちて30キロ過ぎに足に来て急にスピードダウン。結局平均キロ5分のランでした。
これではお先真っ暗。そこでレース2日前に㌔4分45秒で8.5キロ走りましたが、その時の印象が悪くなかったので、何とかキロ5分を切る走りはできるだろうと思いました。
レースの日、朝はピーカンで「こりゃ抑えていかなきゃいけないな」と思いましたが、その気持ちが効を奏したのかもしれません。
レース序盤いい感じでキロ5分をわずかに切る程度のスピードで行けました。周囲にどんどん抜かれましたが焦ることなく自分のペースで行きました。
暑いのでみんな頻繁に水分摂取をしています。
20キロあたりから少しずつランナーを追い越しているなあと感じ始めました。すでに15キロあたりから立ち止まるランナーを見かけます。「確実にイーブンペースでゴールできそうだし、少しペースアップしても大丈夫そうだなあ」と思い始めました。
そして30キロから「何人追い越しているか数えてみよう」と欲を出しました。最初の1キロで35,6人追い抜きました。このペースでゴールまで行けば400人以上抜けます。
ペースは4分50秒程度。天気は雲が多くなり走りやすくなりました。梅香トンネルは応援の声が反響してとても勇気をもらえました。
ゴール後更衣室でランナーが「トンネルで応援もらうとスピードが出ちゃう感じして、ああ応援って力になるなあって思ったよ」といってましたがもう一人のランナーが「あそこは少し下ってるよ」「え?そうなの、応援の力かと思った」という会話をしていました。確かにスピードアップした気がします。
水戸マラソンの最後の登りは急で、ヴィネが初めて参加した時はここでマラソン人生初めて歩いてしまいました。今年は走りません。それどころか最後数百メートルはさらにスピードを上げることができました。
レース前1週間の34キロ走は普通やらないでしょうが、どんなレースになるか予想するには当時のヴィネには必要だったと思います。また、結果的にはもう少し速く走れることもできたかもしれませんが、たとえ3時間22分で走れても満足度は大きく変わりません。それよりいい気持でゴールできたことの方が価値があります。これからスピードをつけた練習もできるようになり、次のレースには3時間5分あたりを狙っていけるかなあと思われます。
次のレースは12月1日のいすみハーフです。
今年の台風は関東地方を直撃するタイプが多いです。
8月16日の台風は2019年の千葉県を襲った台風並みの超強力な台風との報道で、ヴィネは煙突カバーを取り付けることにしました。というのも2019年の台風では煙突がぶるぶる揺れて、煙突を伝って雨漏りしましたから。
脚立使って屋根に上ります。左手には自作の煙突カバー。作るの結構大変だった。材料は人工芝買ったときに包んであったブルーシートのような素材の物。
右手には座布団。というのも、金属でできた煙突のトップに腹ばいになるので、暑さ対策のためです。
屋根をどんどん上っていきます。結構高いです。 屋根上るのは結構慣れていますが、ここ数年は登っていませんのでフレッシュな気持ちです。
頂上まで来ました
久しぶりの頂上制覇です。
写真では見えませんが、煙突に脚立を立てかけて上まで登りました
予め採寸していたので、ぴったりカバーできました。テープは養生テープがいいかんじでした。
出来上がり!!!
遠景です。なんかおとぎの国に出てきそうです。楳図かずおの家ほどではないけどね。
昨年度のハーフマラソンランキングでヴィネは1位になりました。
1時間31分11秒はなかなかいい記録だと思います。2位に1分以上の差をつけています。このころの月間走行距離は400キロくらいで、そのくらい練習すると比較的満足な記録を得られることがわかっています。いすみマラソンでは年代別で3位に入りました。
ちなみにフルのランキングは5位でしたが、この時も走行距離は400キロ程度でした。500キロ以上走れば1位になれるのではないかと皮算用しています。
フィリピンへの旅の大きな目的は学生時代に世話になったウィリアムさんの墓参りでした。生前に再会できていればよかったのですが、それができていなかったのは、ヴィネの「お世話になった人達」への感謝の気持ちの欠如が原因です。
ヴィネはこの事実を強く反省して、これからは感謝の気持ちを忘れない生き方に舵を切ることにしました。実はこの思考回路が認知症を防ぎ健康長寿を生きるのに重要なのです。
44年の時を経てやっとウイリアムに感謝の気持ちを伝えることができました。すでに彼がこの世を去って9年の月日が流れててしまいました。
1歳刻みマラソンランキングの昨年度の結果でヴィネは5位になりました。
佐倉マラソンはフラットなコースではないことと、練習量が物足りなかったことを合わせれば、今年度は1位を十分狙える位置にいます。
右ひざの脛骨高位骨切り術という痛そうな名前のオペを受けて6年で完全にランに復帰できたと実感しております。
オペを受けた当初、整形外科医は「元のように走るのはちょっとねえ・・・」と言葉を濁していましたが、要はやる気ですよね。
GWを利用してフィリピンに墓参りに行ってきます
ヴィネは学生時代にフィリピンのパラワン島に3回行っています。目的は山岳民族に会うためです。
「なんで?」
と思う方がほとんどでしょう。
山岳民族に合う目的は、彼らと生活をすることによって、自分が持っている固定概念を見直したかったのです。彼らは便利な(これは現代人の視点で、彼らはそれを自覚していない可能性が高いですが、)文明機器を使わずに、不便ながらも自然の中で自然と共生しながら生きています。我々は人工的なものに囲まれて、快適な空間を作り出し、時に自然を疎ましく思って生きています。「自然だなあ」とか「自然が一番だよ」とか言っても、それは人工的な空間にすぐ戻れる環境にいるからだと思っています。
山岳民族との生活の詳細についてはあまりにも長くなるので語りませんが、これがウイリアムさんと知り合うきっかけとなったのです。マニラのユースホステルで知り合ったビルというアメリカ人が「パラワンに行くならウイリアム(アメリカ人)に助けてもらえばいい」と紹介されたのです。
たまたま夕食時の突然の来訪者にウイリアムは快く受け入れてくれたのです。当時の彼の家は藁ぶき、でわずか10畳程度の居間とキッチンがあるだけでした。ここに幼い娘4人と息子一人の7人家族で住んでいたのです。頼りないランプの明かりを頼りにおそらく自分たちの食べる夕食を私に提供してくれたのです。
彼は山岳民族の言葉を話し、彼らとの交流もあったので、とても助けになりました。3回の訪問で特にお金を要求するわけでもなく、ヴィネは帰国後に子供たちに電池で動くプラレールのようなものをおくったり、セイコーの時計をプレゼントしました。
ヴィネは医者になると、多忙になり次第にフィリピンに行ったことを思い出すことがなくなり、音信も不通となりました。
ことが動いたのはフェイスブックに登録してしばらくしてからです。デン・ウェイクフィールドという人が「知り合いですか」のリストにあり、しばらく躊躇したのに「あなたは以前ケソンというところに住んでいて、お父さんはウイリアムという名前でで、お母さんはアニタという名前ですか?」とメールしました。すると即座に返信があり、「そうです。私はそのとき4歳でほとんど覚えていませんが、父が生きていた時あなたのことを話していた。だから私はあなたをフェイスブックで探していたのです」というのです。私はそれを聞き激しく後悔しました。全く知らない突然に訪問者を快く迎え入れ、私の活動に無償の協力を提供してくれたウイリアムに対して不義理を詫びました。
彼は私からの連絡がないながらも「ジュンはおそらくアメリカで医者をやっているんだろう」と話していたそうです。
「2015年に心筋梗塞で他界した彼の墓参りをしなければヴィネは一生後悔する。墓参りがヴィネができる唯一の恩返しだ」と思ったのです。
というわけで29日から5月5日までフィリピンに行ってきます。暑すぎて走れるかどうかわかんないけど、一応ランニングの道具は持参します。