歴史の授業で必ず出てくる金印の話は、まだ4月頃の授業で出てくるはずなので、よほど不真面目な学生以外は少なくても記憶の片隅にあると思います。
金印は中国の漢の時代に、当時北九州地方の国の国王に贈られたものだと推定されています。「推定」と書いたのは2000年も前の漢の書物にはそれらしい記載があるんですが、日本にはそれに関する資料がないのです。
今回ヴィネは福岡に行ってきました。その大きな目標の一つが金印を実際見ることと、それが発見された志賀島の発見場所を見る事でした。金印の実物は福岡市博物館にあります。とても暗い一室にボーっと光を当てられて展示されていた金印の第一印象は「ちっちぇ~」
わずか2センチ四方の上に説明されないとわからない細かな細工のされた蛇がとぐろ巻いているのです。金印の使用目的は大事な荷物をひもで結んで、さらに粘土みたいなものにぺったんと金印でしるしをつけて封をするためのものです。実用とするには2センチ四方は小さすぎます。手でつまむにも不便です。もしかすると実用性のない宝物だったのかもしれません。
さて金印の面白いところはこれからです。
この金印は実は200年前に志賀島で畑を耕していた農夫によって発見されたというのです。ということは1800年もの間その存在が全く知られていなかったということになります。ほんとかよ!こんな高価なものを1800年間も誰も気づいていなかったのか????
そこでヴィネは疑問を解決すべく発見場所とされている金印公園に行きました。ここには車で行くのなら簡単なのですが、電車とバスを乗り継ぐととても不便です。
そしてたどり着いた先山の斜面のジグザグに階段を上っていくと、ありました。金印のレプリカです。そしてそのわきの説明文を見てびっくり。実際に発見されたところはここではなく、「公園の名前を記した石柱の先を少し行ったところ」とあるじゃないですか!じゃあ何でそこに公園を造らなかったのか!?金印公園は正確には「金印近傍公園」でした。
確かにそこまで下りていくと荒れた道がありました。ほとんど人が通らないような道ですが、一部に舗装した跡があるので、過去には使われていたんでしょうね。
そして左手に猫の額ほどの畑がありました。え?こんなところで金印が見つかったの?
ヴィネには大きな疑問がわきました。
もしかして金印は日本に来た初期に渡されるべき人に渡されずに何者かによって盗まれたのではないか?だから日本には記録がないのではないか
何者かの一家では固く家訓で口外することないように受け継がれていたのではないだろうか。そして200年前に「やばいよ、これ。こんなもの持っているのばれたら打ち首間違いなしだよ」と思ったか、何とか偶然を装って畑で見つかったことにしたのではないでしょうか?
というのがヴィネの推測ですが、こんな稚拙な計画は当時の人だって容易に推測できたでしょう。それがばれていないということはおそらく裏取引があったのではないか?
歴史上の出来事で謎の部分を勝手に想像を膨らますのは楽しいものです。
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