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2019年11月29日(金)

毎年こんなことをやるんですが、今年はあえてやりません。というのも毎回実践できていないからです。

でも今年は違います!

というのも決意の具合が違う。だから年末からすでに行動を起こしているのです。

そもそも新年の抱負って「新年になったからなんか気持ち新たにして取り組んでみようかな」という風に軽いんです。それが実践できない大きな理由じゃないかと思ってるんです。ところが今年は年末くらいから「こんなんじゃだめだよな。いい加減に克服しよう」という気持ちがめらめらと盛りあがってきたのです。それを後押しするような周囲の環境の変化もあったのでこれは間違いないでしょう。

で、何をやるかって?

それはここでは言わないことにしましょう。過去に何度も候補に挙がったことですが、できたときにご報告します。必ずできるという自信がみなぎってきたぞ~

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年末年始にかけてネット環境を変えたので、それに伴ってしばらくブログを書くことができませんでした。

さてヴィネの膝にご関心ある方(ごく少数と思われませが)、新たな情報です。
滑液包にPRPを注射して「これでもうトンネル抜けた~」と叫んでおりましたが、なんとその後12月24日のランで、4キロほどでまた同じような痛みに襲われてしまいました。

がーん!ショック~~~~~

あれだけ信頼置いていたPRPは無力かあ~!この落ち込みは相当なものでした。両翼をもぎ取られた渡り鳥のようになすすべもなく地べたを漂うのか・・・・

いやいや、まだできることはある。今度はステロイドに望みをつなげました。ただしヴィネにとってステロイドは嫌な思い出があります。アキレス腱断裂がその部に対するステロイド注射が原因だったからです。
 しかし今回やるのは炎症を起こしている滑液包です。ここなら断裂起こすものがないはず。たとえ注射穴から少し漏れ出たとしても、腱自体に注射するわけではないので断裂することはないでしょう。

というわけで意を決して注射したわけですよ。するとどうでしょう、翌日の4キロラン、その次の13キロランと全く痛みがありません。調子に乗って正月は20キロランを4回やりました。

パーペキです。

パーペキとはパーフェクトと完璧を合わせてこれ以上にない極上の完成度を指す言葉で、確か東大一直線で初登場した言葉だと思います。

これで本当の意味で痛みから解放されたのではないかと思うのです。バンザーイ!(バンザイは一回で十分です。6回もやっちゃいけません)今日エコーで確認しましたが、滑液包もほとんど観察されず。これは完治といっていいでしょう。

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日記を見ると、最初に膝窩に違和感を感じたのは8月31日でした。しかしその後も20キロ以上走れることができ、そこそこのスピードも維持できていましたが、9月18日以降の記載は、毎回膝窩部の痛みについて悲観的に書かれていて、また走行距離もそれにつれて落ちていったようです。

ということは3か月ぶりの激走と言えるでしょうか。12.12キロ走り58分16秒。最速キロ4分23秒。フルマラソン予想タイムは3時間5分。もちろん膝の痛みからは完全に開放され、一気にスピードが増したようです。

予想タイムはあくまで予想ですので、これからの練習次第でどうにでも変化します。嬉しいのは走っていてとても気分がいいことでした。こんな気持ちになったのは1年10か月ぶりでしょうか。

というわけで復帰後最初のレースに佐倉マラソンに登録しました。最後に参加したときには17キロで屈辱の途中リタイアでした。アップダウンのある記録の出にくいコースですが、ヴィネが一歳刻みランキングで一位をとった思い出のある大会でもあります。

あと3か月もあれば準備期間としては十分です。サブスリーは無理でもそれに近い記録を出したいものです。

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さて昨日の中途半端PRPの効果はいかがでしょう?

少し北風があるが晴れて気持ちいい日です。十分ストレッチしてランに出ました。

1キロ、2キロ・・・、痛みが出ません。これはいけそう。スピードもアップして最速キロ4分42秒まで上げました。5キロも痛みなしで通過。そして8.3キロでゴール。4か所のアップダウンのあるコースで平均4分57秒です。

やったー!

やっと4か月の長いトンネルを抜けたのです。これで2020年をハッピーな気分で迎えることができます。

ばんざ~い!(^o^)/

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さて、黒幕である滑液包炎の液体を抜いた翌日のランですが、普通なら2キロ当たりで痛んでくるのが4.5キロ当たりで感を感じる

程度になりました。全く無症状を期待したのですが、常識的にはそれは無理。

よく膝に水がたまる人がいますが、一度抜いてもすぐにまたたまるのは常識ですから。そして翌日はほぼ前の状態に戻ってしまいました。

やっぱあれをやらなきゃダメか・・・・

そして昨日土曜日です。右図の⑩のところが滑液包です。再度エコーをすると案の定液体がたまっています。ここと①②③の筋肉を探り、圧痛のある部分2か所、合計3か所にPRPを打つことにしました。

エコーで慎重に滑液包に針を進め、ここに0.5ml注入し、針を細い針に変えて圧痛点にさして注入を・・・(針を変えて理由の詳細は省略)

ブシャ!!

ああ~!ショーック!!!!

なんと針と注射筒の接続が甘くて注入の内圧に耐え切れずPRPの液体が飛び散ってしまいました。

おおおお・・・かなりのショック、痛手は大きい。な、なんということをしてしまったんだろう。

もう一度やる?いやいや高い物だからそうおいそれとはできません。まあ仕方ない。ここはあきらめて、これだけでどこまで治るか明日に期待しよう。

 

 

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ゲーターを履いてもハーフタイツ履いても、一瞬改善した気にはなりましたが、結局痛みはあまり変わりないと判断せざるを得ません。
そんな悲観的な状況でも一日3キロとか4キロ位は走っているのです。そして大きな転機が起きたのが11日のランの時でした。

2キロ過ぎで痛くなり、立ち止まりマッサージをしていた時です。今までは痛い膝裏、つまり腓腹筋の付け根あたりを探っていたのですが、ふと膝の内側を押してみたら
「あれ?こんなところに圧痛が・・・・」

今まで自発痛ある所に圧痛がなかったので、対策も暗中模索状態。しかし今日は近くに初めて圧痛を確認できたわけで、こいつが黒幕か!?との思いに胸が高鳴りました。
胸が高鳴るってことは展望が開けたってことです。早速エコーで痛みの部位を確かめてみました。すると、なんと!!!!!!!

右の写真の黒いところと痛みが一致します。!お前か!お前がヴィネを4か月も悩ませていた黒幕だな。このエコー画像が動かぬ証拠だ!

こいつを退治しなければ。まずはここをめがけて針を刺し貯留する液体を吸引しました。
得られたのはドロッとした淡黄色の液体0.8mlです。おそらくこれは滑液でしょう。滑液とは靭帯が周囲の組織と擦れる時のクッションとなるもの。ここに炎症が生じると液体がたまるのです。つまり滑液包炎だったのです。
とりあえずこの日はここまで。吸引しただけで治るとは思ってはいませんが、まずはこれだけでどのくらい改善するのか見てみたいという気持ちがあります。

ところでなぜここに炎症が起きたのかですが、ここはいわゆる鵞足を形成するところです。鵞足とは大腿内側の縫工筋、薄筋、半膜様筋、半腱様筋が集まって脛骨の内側にくっつところを指します。

ところでここで一つの疑問があります。この現象はHTO(脛骨高位骨切り術)を受けたことと関係があるのでしょうか?
ヴィネは大きな関連があると思っています。つまりそれまではむしろO脚気味だったので膝の外側、つまり腸脛靭帯炎を起こす可能性のほうが高いのですが、それをオペによってアライメント(四肢軸)が変わり、内側に負担がかかるようになった。というのがヴィネの推論です。言ってみればHTOを受けた人は強度の強い練習をすると鵞足炎になる可能性が高いということが常識なのではないでしょうか?
だとしたらオペを受けた後にそのことを注意して欲しいものです。ヴィネは多くの整形外科医に「元のパフォーマンスに戻ることはほとんどない」「元のような成績を残した人は知らない」といわれました。しかしそんなことより、どんなことが起こりえるのかを教えてほしかったなあ。

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ヴィネが中村医師の活動を知ったのは今から22年くらい前だったと思います。海外ボランティアに興味を抱いていたころに本で読んで、辺境の地でハンセン氏病の治療に専念している医師の活動に非常に心を打たれました。

自分がここまで献身的に地元の人のために人生をささげられるだろうか?とても無理だと思いました。

中村医師の「一本の用水路は100の診療所に相当する」の言葉はには、まさにその通り。その言葉で『ODAの援助は地元の現状を考えていない』という友人の言葉を思い出しました。
友人はアフリカで井戸を掘る仕事をしていたのですが、ODAの支援で作った井戸は2,3年で悉く使えなくなっていると怒っていました。砂漠の中で高性能の井戸を作ってもすぐに細かい砂が原因で使えなくなる。地元の人が修理できないので、放置されている井戸が沢山あるのだそうだ。なぜそんなものを作ったのかですが、それは安い井戸だと日本企業が潤わないからだというのです。つまり井戸を作るのは地元の人たちのためではなく、日本企業のためだというのです。

その点中村医師の仕事は地元にしっかり根付いたものです。システムは単純なほど管理しやすい。そして一面茶色の荒涼たる土地が緑豊かな土地に変わるのを見ると、誰だってやりがいを感じるだろう。

ノーベル平和賞ほど不適切な人に与えている賞はないと思われる。オバマもゴアも金大中も佐藤栄作もスーチーも全員平和賞を返還せよ!そもそも政治家に平和賞をあげちゃいけないですよ。国によって評価は全く違うんだから。その点中村哲医師ほど賞にふさわしい人はいなかったと思う。しかし亡くなった今はもうノーベル賞をもらうことができなくなった。何か代わりになる賞はないものかと思うのだが、受賞によって政治家の人気取りに利用されないことを願う。

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機械が故障した場合は要因となるものを一つ一つ切り分けて、本当の原因にたどり着くものです。病気の原因探る時だってそうでしょう。腹が痛いといってきた患者にいきなり痛み止め出すアホな医者は世の中に・・・・(いるかもしれない)

ヴィネの膝の原因が本当に血管拡張なのか?を知るには、単にゲーターを履いて痛みがなかったからそうだと決めつけてはいけない。もっと詳しく調べるにはさらなる切り分け作業が必要です。
そこで昼ランでゲーターを履かずに走り、痛みだしたらその時点で履いてその後の走りがどうなるか観察しようと、ゲータをハーフタイツの腰に挟んでスタート。
できるだけ負荷をかけるために朝と同様いきなりスピード上げて走り出します。右股関節がちょっと痛いけどここは我慢。最速で4分59秒まであげました。しかしなぜか一向に痛みが来ません。2キロ過ぎても3キロ過ぎても、いつもなら絶対この辺で痛みが来て走れなくなるというのに、全く痛まず。結局5.1キロ無事に(?)もどってきました。

病院について直後にエコーをやりました。ラン前と比べて腓腹筋内の静脈の拡張度を見るとわずかに軽減?でも2ミリなので誤差範囲と判断。

いったいこの結果をどう判断すればいいのでしょうか?思いめぐらしてはたと気づいたのは「今日は寒かったのでハーフタイツを履いた」ことでした。これで大腿の静脈が圧迫されてことが原因?しかし大腿静脈を圧迫するとかえって下腿の静脈の還流は悪くなり、むしろ症状は悪化するのではないでしょうか?

ううん、わかんな~い!!

 

 

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以前3つの病院から20もの薬を出されている患者さんのトピックをあげましたが、その続きの話。

ある病院から「近くの医院に紹介状書くから今度からそちらで診てもらってください」といわれて90日分の薬が処方されました。その数日後に近くの医院に行くと「もらった薬すべて捨てなさい。こっちから出すから」と言われたとのこと。ちなみにこの方の医療費の自己負担なしです。

紹介状と言って90日もの薬を処方する医師も問題だけど、それを全部捨てさせる医師もクソ医者!!!

ヴィネのところにも「今後在宅でフォローしてください」という紹介状をもってくる方の中には90日も薬をもらってくる人が少なからずいます。多くの場合、かなり過剰な薬の処方をされています。ヴィネはそれを心ある薬剤師と協力して時間をかけて整理するのです。
いったい処方する医者は何考えているのでしょうか?在宅医に90日後にかかれというのでしょうか?そんなバカな話はないはず。在宅医に紹介するというのは、もう積極的な治療は難しい、体力的にも病気の進行を考えても通院は困難だと考えてのはず。だったらせいぜい1,2週間の薬処方で「その間に在宅医にかかってね」というべきでしょう。それとも自分の処方は完璧だと考えているのでしょうか?

こんなあほ医者がゴロゴロ全国にいると、それによる医療費の損失は全国レベルで見ると100億円くらいになっているのではないでしょうか?

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昨日在宅緩和研究会という会に参加しました。テーマが在宅医療における多職種連携ということなので、ヴィネの今一番取り組んでいるテーマですですから、挙手して発言までしました。

その後の懇親会の会場で、ある医師から名刺を受け取りました。

「私かつてウルトラランナーで、先生のことは以前から存じていました。ここで会えたのは光栄です」

と、満面笑みで話します。研究会の内容など一切触れず、過去に走った100キロランのこととか現在のこととか、走りのこととなるとすべてに優先して話題にするところ、まさにピュアなランナーによくあることです。ヴィネもいろいろ聞きたいことたくさんあったのですが、今回この研究会は初参加で、ほかの人とも挨拶をしなければならなかったので後ろ髪を引かれる思いで、話を切り上げなければならなかったのが悔やまれます。

もう走らなくなったとはいえ、ヴィネのことを覚えて挨拶してくれるなんて、とても光栄ですわ。シミジミ。

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