この時期、アンディは散歩の時同じ道を行きたがります。それも急いで・・・・
そしてそのお目当ては・・・・
黒いつぶつぶはサクランボです。しかもソメイヨシノのサクランボは種ばかりで食べるところがないどころか、ちょっと苦みがあります。これのどこがいいでしょうか?桑の実の方がよっぽどいいのに。
食べさせないようにするのもかわいそうなのですが、桜の木は点在するので、結局毎日10個くらい食べています。だからこの時期のウンチは真っ黒です。
千葉県市原市 外科 内科 皮膚科 アレルギー科 婦人科 スポーツドクター 食習慣・運動習慣改善指導
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この時期、アンディは散歩の時同じ道を行きたがります。それも急いで・・・・
そしてそのお目当ては・・・・
黒いつぶつぶはサクランボです。しかもソメイヨシノのサクランボは種ばかりで食べるところがないどころか、ちょっと苦みがあります。これのどこがいいでしょうか?桑の実の方がよっぽどいいのに。
食べさせないようにするのもかわいそうなのですが、桜の木は点在するので、結局毎日10個くらい食べています。だからこの時期のウンチは真っ黒です。
3日は午前中大雨でしたが、午後には上がってすっきりした天気となり、イヤミ階段挑戦に行きました。
初めてここに挑戦したのは10年以上前だった気がしますが、最近は周囲が開発されて、今の時期でもやぶが階段に迫ってくるようなことはなくなりました。
ここを一段ごと行くのか、一段おきに行くのかでかかる時間は変わってきます。真面目に一段ごとに行くと往復2分20秒かかります。1段おきにすると、といっても後半は疲れて一段ごとになってしまってますが、2分10秒ちょっとで、くだりも1段おきに行くと2分10秒を切ってきます。しかし下りを一段おきにする意味はあまりないし、少し危険でもありますのでお勧めはできません。
イヤミ階段再挑戦初日は5往復で、次は10往復、13往復として今日は15往復にしました。写真で手すりの足元に小石を並べてあるのがわかりますが、これで回数を数えました。この程度の練習では筋肉痛は全然来ません。トレーニングの質としてはが良くないのかなあ。
15往復して40分くらいかかってこれではタイパが悪いです。これでは4分体操(タバタメソッド)のほうがずっと効率いい気がします。
・ 先日朝のTV健康番組で専門家といわれる人物が「おならの由来は8割が飲み込んだ空気です」といっていました。
この話はよく言われていることですが、本当ですか?????
少なくてもこの専門家は自分で研究して出した結論ではないはずです。昔誰かがそういったのをそのままコピペしているはずです。では最初の言い出しっぺは誰だったのでしょうか?どういう研究で導き出した結果なのでしょうか? まあどちらでもいいです。
おならについて質問する人はおならが多いか臭いかどっちかで悩んでいるはずです。前者のおならが非常に多くて困っている人に「あなたのおならは8割が飲み込んだ空気だ」といってあげると、少しは安心するかもしれません。ストレスで意識的に空気を飲み込む人もいるようですから。
しかしこの理屈を覆す事実を提示しましょう。
腹部のレントゲンとると、ガスはほとんど大腸にしかありません。小腸にはガスはないのです。むしろあった場合は腸閉塞を疑います。
もしおならが多い人が空気をガンガン飲み込んでいて、それがおならになっているなら、小腸にだってたくさんのガスがあるはずです。小腸になくて大腸にだけガスがあるということは、やはりおならのほとんどは大腸で腸内細菌によって発酵してできたガスなはずです。
AIにおならの由来を聞いてみましたが、「飲み込んだ空気と腸内で産生されたガス」との回答で、飲み込んだ空気が8割というコメントはありませんでした。しょうがないですよね、AIが参考にしている文献が同じようなことばかり書いているんdネスからね。
80歳の患者さんが、最近受けたCTかエコーでのあと、医師に
「子宮筋腫の手術をしたっていうけど、卵巣もとったみたいですね」
と言われたというので、ヴィネは「え~、本当ですか。○○さんの年齢だと卵巣は非常に委縮していてCTやエコーでは確認できないんと思いますよ」といいました。
そもそも「ある」ことを証明するのは簡単ですが、「ない」ことを証明するのは非常に困難なことが多いです。例えば「月には生物は存在しない」とはいまだに言いきれませんからね。
この患者さんは「まだ20代のころ子宮筋腫で子宮をとったんですが、その時卵巣まで取ったって言われなかったんです。そして手術後50歳まで、そこでずっとホルモン注射受けてました」と続けました。その話を聞いてこの方は卵巣をも切除したとヴィネは理解しました。とったからこそホルモン治療が必要だったんでしょうね。
ヴィネは27歳の患者の卵巣まで取っちゃうという乱暴な話にぶったまげました。そしてヴィネが医者1年目のことを思い出しました。
手術の手伝いのバイトに行ったときのことです。まだ22歳くらいの既婚の患者の良性卵巣嚢腫のオペなのですが、「あ~あ、両方とも卵巣嚢腫だよ。かわいそうになあ」と言いながら、躊躇することなく両側卵巣を切除したのです。「え!!!やばいだろう」と思いましたが、声には出せませんでした。
医者になってまだ2,3か月ですから、おかしいと思いながらも「もしかすると自分の知らない医学的根拠があるのかもしれない」と思って、その場を去り、後ほど先輩医師にその話をしました。当然ですが両側卵巣を取ってしまえばこの方の子供を作るという夢は一生奪われるどころか様々な、健康上の不具合が生じること間違いなしです。ましてや良性なら、わずかでも健常な部分の卵巣を残すべきなのです。
80歳の患者さんの話に戻りますが、この方は27歳の時にもほかの産婦人科で、10個くらいのホルマリン漬けの標本を見せられ「あなたの子宮はこのくらい大きい。すぐに手術しましょう」と言われたのです。おばさんに当たる人が「あなたまだ子供もいないんだからちょっと待ちなさい」といって大学病院を受診しました。そして子供をもうけた後に、前述の医院で手術をしたのです。
なぜ異常ない卵巣まで取ったのかですが、これについては憶測なのでここには書きませんが、本人には言いました。するとこの患者さんはもう50年以上前の話ですから笑いながら「やぶですね」といってました。
いや、やぶよりひどい密林でしょ
在宅でみている患者さんが自宅でベッドから落ちていて、それを仕事から帰宅した孫が発見してベッドに戻した。しかし朝に訪問看護の職員が行くとやはりベッドから落ちていたところを発見。微熱がありはーはーと呼吸が苦しそう。意識レベルも落ちていて、酸素濃度も90を切って低い。
救急車要請して総合病院に電話したら「在宅医がいるんならそこで見てもらえ」と断ったという。
診察中だったが救急車が当院に来ました。一見してこれはうちでみられる状況じゃないとわかりました。即近くの総合病院に電話して引き受けてもらうことになりました。おそらく救急隊員が初めてた時も同じような状況で、その旨医者に伝えたと思うのですが、だったら在宅医が対応できない症状なのはわかるはず。その病院では面倒なものは受けないという基本姿勢があるように思えました。救急隊員に聞くと、「〇〇病院(最初の病院)は頻繁に救急要請を断ってくるんですよねえ」
しばらくして引き受けてくれた病院からの情報です。
「あの患者さんコロナでした」
別の患者さんですが、ヴィネが訪問したその日の夜、食欲なく微熱が出ました。訪問看護が訪れてヴィネの所に電話をよこしました。「先生、抗原検査うっすら陽性なんですが」
これまでコロナ感染者との明らかな接触はなかったのですが、今回2回続けて接触しました。もういつ感染するかわからないです。
最近急減期に注目を浴びるオープンAIを使ってみました。
「甘える」を英語でどう表現するのかネットで調べても、納得いく答えが得られず、カナダ人のネイティブに聞いても「よくわからない」といわれましたが、これをAIでに聞いたら、とても明快な答えを瞬時に出してくれました。
しかしAIは世間にたくさんある情報を瞬時に集めてどれが最も正しい答えを出す技術だと思っていまるんですが、だったら例えば病気の治療法で、世間にあまり知れ渡っていないけどすごく効果がある治療法をAIが気付いていなかったら、ただしい答えをだせないのでは?
ということで「自分でできるイボの効果的治療法」と「風邪の効果的な予防法」について聞いてみました。すると、ともに通り一遍の結論しか得られませんでした。イボに関しては「自分で治療しないで専門医に行きなさい」と面白くないコメントまでついてきました。
当然賢明な当ブログの読者は、正解わかっていますよね。
つまりAIよりVIneが正しいってことになりますね
初診で16歳の高校生がオーバートレーニング症候群だといって来院してきました。すでに他院で血液検査済み。
野球をやっているというその高校生は1月から休部しているという。12月の血検では少し筋肉が壊れた時に出る酵素の値が上昇していましたが3月には正常化していました。しかし体育の授業程度では問題ないが、部活の練習に参加すると、体が重くなって続けられないという。どこの病院に行っても「検査ではよくなっているのになあどうしてだろう」というばかりで困ったというのです。
そんなの当り前じゃないですか!血検でよくなれば体調も改善するんだったら医者いらねえよ。
強度な運動が積み重なって慢性疲労に陥ったんだったら、休めば回復するなんて単純な問題ではないんだよ。
問題は練習環境なんです。
まだ精神的に発育途上の高校生は、上から言われれば従順に従います。でも強い精神的なストレスに耐えるほどの精神は出来上がっていないのです。それを勝利至上主義のコーチや監督は、まるで生徒を機械のパーツのように扱っているのです。練習を積めば強くなる。このくらいのことできないのは甘えてるせいだ。3か月も休んだからもう疲労は取れてるはずだ。それを体が重いというのはたるんでる証拠だ、みたいにね。
この環境を変えなければ治りません。そのためには生徒と親たちが話し合って意思の統一を図り、コーチや監督に直談判に行くのです。しかし多くの場合コーチや監督は理解がありません。だから校長にも話をつけておくのです。そのように準備をして練習環境を変えなければ、今後も多くの犠牲者が出てきます。
学校で子供たちが事件や事故でなくなることがよく報道されますが、実は全国的に見れば同じことが何度も繰り返されているのです。一つの高校でいじめで自殺があったとしても、それはその学校では初めての事かもしれませんが、全国的に見れば同じようなことが何度も繰り返されているのです。しかし学校現場では何も学んでいないのです。
部活で過剰な指導で子供たちが命を落としても、ほとんど同じようなことが何度も繰り返されます。先生たちはその事件を全く知らないかのようです。
以上、野球部の生徒はヴィネの言葉に一つ一つ頷いてくれました。救われるのはこの少年が目に力は力があり、うつろな表情ではなかったことです。沈んだ表情をしていると本格的な鬱の可能性がありますから、さらに深刻です。eつの学校で
ところでどうしてこの親子が当院に来たかですが、彼の友人が別の高校で野球をしていて、彼の母親に相談したところ、その方が競艇選手で、10年以上前に当院を受診していて、いろいろ相談に乗ってあげた方だったのです。
拙宅周辺のメインストリートは2メートルの幅があります。なのに暗闇を黒い服装で、歩道でなく車道を走るランナーがいました。小さな反射板をつけただけで、ドライバーからすれば迷惑千万。もしかすると幅寄せしてくる車もあるかもしれません。そういう危険性が想像できないのでしょうか?
「ランニングは健康をのためにやっている。しかも夜に走っているんだ、えらいだろう」なんて自己陶酔しているんじゃないでしょうか?
歴史の授業で必ず出てくる金印の話は、まだ4月頃の授業で出てくるはずなので、よほど不真面目な学生以外は少なくても記憶の片隅にあると思います。
金印は中国の漢の時代に、当時北九州地方の国の国王に贈られたものだと推定されています。「推定」と書いたのは2000年も前の漢の書物にはそれらしい記載があるんですが、日本にはそれに関する資料がないのです。
今回ヴィネは福岡に行ってきました。その大きな目標の一つが金印を実際見ることと、それが発見された志賀島の発見場所を見る事でした。金印の実物は福岡市博物館にあります。とても暗い一室にボーっと光を当てられて展示されていた金印の第一印象は「ちっちぇ~」
わずか2センチ四方の上に説明されないとわからない細かな細工のされた蛇がとぐろ巻いているのです。金印の使用目的は大事な荷物をひもで結んで、さらに粘土みたいなものにぺったんと金印でしるしをつけて封をするためのものです。実用とするには2センチ四方は小さすぎます。手でつまむにも不便です。もしかすると実用性のない宝物だったのかもしれません。
さて金印の面白いところはこれからです。
この金印は実は200年前に志賀島で畑を耕していた農夫によって発見されたというのです。ということは1800年もの間その存在が全く知られていなかったということになります。ほんとかよ!こんな高価なものを1800年間も誰も気づいていなかったのか????
そこでヴィネは疑問を解決すべく発見場所とされている金印公園に行きました。ここには車で行くのなら簡単なのですが、電車とバスを乗り継ぐととても不便です。
そしてたどり着いた先山の斜面のジグザグに階段を上っていくと、ありました。金印のレプリカです。そしてそのわきの説明文を見てびっくり。実際に発見されたところはここではなく、「公園の名前を記した石柱の先を少し行ったところ」とあるじゃないですか!じゃあ何でそこに公園を造らなかったのか!?金印公園は正確には「金印近傍公園」でした。
確かにそこまで下りていくと荒れた道がありました。ほとんど人が通らないような道ですが、一部に舗装した跡があるので、過去には使われていたんでしょうね。
そして左手に猫の額ほどの畑がありました。え?こんなところで金印が見つかったの?
ヴィネには大きな疑問がわきました。
もしかして金印は日本に来た初期に渡されるべき人に渡されずに何者かによって盗まれたのではないか?だから日本には記録がないのではないか
何者かの一家では固く家訓で口外することないように受け継がれていたのではないだろうか。そして200年前に「やばいよ、これ。こんなもの持っているのばれたら打ち首間違いなしだよ」と思ったか、何とか偶然を装って畑で見つかったことにしたのではないでしょうか?
というのがヴィネの推測ですが、こんな稚拙な計画は当時の人だって容易に推測できたでしょう。それがばれていないということはおそらく裏取引があったのではないか?
歴史上の出来事で謎の部分を勝手に想像を膨らますのは楽しいものです。
4月24日の午後の外来も予約診療が終わったころ、YSさんが来られました。1年ぶり以上です。
カバンからワインを取り出し、診察室で「ハッピバースデイツーユー」と歌いだしました。
彼女は大変な難病を抱えており、専門病院の複数の科にかかっています。高額の薬を使い、それによる副作用も抱えて、何とか乗り切っているのです。病状は緩解憎悪悪を繰り返し、次第に下降線を下っていることは、彼女自身十分理解しています。下肢には結節性紅斑が何か所もできていて、一時は歩けなかったといいます。それなのにその振る舞いはとても明るく、周囲はその病状を聞いてなんて言葉をかけたらいいかなんて悩むことはありません。相手に気を使わせないその振る舞いも、もしかすると計算のうちなのかもしれません。
ヴィネの誕生日を覚えていることに驚くと「だって私の仕事復帰の日と同じなんですもの」と。昨年の今日、彼女は仕事を再開したのです。あまりにも明るくふるまうため、周囲から「(仕事休んでばかりいるけど)本当に病気なの」と言われたりするそうです。
「去年受診しに来たときは先生体調悪そうだったからね」
「ん?あー肋骨骨折かな」と、薄れた記憶をたどると
「それはその前の年」と即座に訂正されました。
自宅に帰って当時の記録を見ると、昨年の診察のころは半年に一度の不明熱でダメージを受けていた時でした。
30分間病気発症に至るまでのこと、将来のこと、友人のことなど話すことができました。年を取ると誕生日なんて少しもうれしくはないものですが、今年は一生忘れない特別な誕生日になりました。