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The “new way of life” advocated by experts and the government is very similar to the Japanese society facing World War II. In 1940, the imperial RUle Assistance Assosiation called the “new living system”, such as “seasoning calendar” for each season of using vegetables in the kitchen garden, and decorating the Fusuma door by reusing old kimono. The actual actor was a woman, and it was said that it was a non-political content. However, it played a political role in guiding people from the foundation of their lives to social control.

How is it now? After the epidemic of corona virus, the popularity of home gardens has increased, and Tokyo will deliver cut-off frill videos. The scene of this corona epidemic can be seen as a repeat of the “new life system” of the time. And I am worried about the future of the society where the citizens themselves have become accustomed to participating in and following the control of the area of ​​life.

In fact, I was surprised that there was “self-restraint” before the “new life system”. Permanents and cafes were extravagant, and people looked coldly at the lines in the movie theater.

Now, in Japan, all media are working together on “self-restraint” and “new lifestyle”, and praise the unpleasant unity of trying to survive the Coronal War. The “correctness” that clings to them is very unpleasant. However, even though I write on the blog that I oppose the movement of the public, like this, it’s hard to say in public. The atmosphere of such a society is also unpleasant because of a glaring sense of justice.

Due to the low mortality rate of corona in Japan, there is a tendency among Japanese people to lead to psychological and cultural theories such as “Our behavioral patterns are different!” “Japanese culture is excellent”. Mortality rates are lower in Taiwan, Vietnam, Australia and New Zealand… Politicians aren’t doing much, but they’re trying to take their credit.

And here’s what I want to say.

One day, when this turmoil was forgotten and everyone turned to this era, the folly of “self-restraint” and “new lifestyles” became apparent. When asked “How did you act then”, you would justify “it wasn’t the air I could oppose at the time.” It is the same as the past Japanese who did not oppose the war.

Everyone thinks they are on the right side. However, it is not an act of self-thinking, but simply accepting what the powerful people are saying without any criticism and staying in a temporary peaceful place. It is the same as the teachers who used to say “devils, the United States and Britain,” and “Long live emperor!” during the war, screaming “democracy” in the sme breath.

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The new lifestyle is strange
When you eat, keep your distance from each other, look in one direction, and concentrate on eating instead of talking. (by NHK)

 This is like a chicken farm or a prison. No, chickens are closer to each other in the poultry farm, so it’s still better, and the prison must be sitting face-to-face (in the TV drama scene), so it’s still human. Do NHK people eat quietly like this?

What does it mean to sit in an L-shape and have a meal in a dining room instead of facing each other? Do you sit in an L shape and don’t see each other’s faces while eating?

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食事するときは、お互い距離を保ち一方向を向いて出きるだけ会話はしないで食事をすることに集中しましょう。(NHK)

食事はエサですか?これではまるで養鶏場かか刑務所。いや、養鶏場のほうがお互いの距離は近いので、まだましだし、刑務所は対面で座っているはず(テレビのドラマの風景では)なのでまだ人間的。NHKの皆さんもこうして黙々と食事しているのでしょうか?

また食堂などでは対面じゃなくL字に座って食事をするのはどんな意味があるのでしょうか?L字に座ってお互いの顔は見ないってこと?

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「マスクの外側にはコロナウイルスがついているかもしれないので、外側には触れないようにしなければいけません」

テレビでも新聞でもコロナ対策として、頻繁に言われ続けていることです。まじめなあなたは「そうかそうか、そりゃそうだな。では内側に触れて・・・」とマスクの内側に触れて外そうとします。すると今度は日本医師会が言っている言葉を思い出しました。

「全員がコロナに感染していると思って行動すること」

自分も感染者かもしれない、ということは
「マスクの内側なんてウイルスだらけの可能性が高いじゃん!!」

外側も内側も触れないならどうやってマスク外すのか分からなくなっちゃいました。するとテレビでは紐の部分もって外していました。でもそれってやっぱり外側じゃん。なぜ紐ならいいのか説明スルーしている~!

まあ、まじめな人はこんな疑問を持ったりしません。まじめだから言われることに従順に従っているのです。こんな疑問感じるのはひねくれているヴィネのようなKY野郎くらいです。

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漫画原作者の肩書を持つ大塚英志氏の新聞記事を読み、「この人の言うことはヴィネの言いたいことをすべて代弁してくれている」と感じました。

その抜粋をここに書きます。

氏は現在専門家や政府が唱えている「新しい生活様式」に対して、80年前、つまり第二次世界大戦に向かう日本の社会と非常に似ているといっています。1940年大政翼賛会が説いたのが「新生活体制」というもので、家庭菜園の野菜を使う季節ごとの「漬けもの暦」や古くなった着物の再利用でふすまを飾るなど、実際の担い手は女性であり、非政治的な内容だったとのこと。しかしそれは生活という基盤から社会統制に人を誘導してしまう政治的役割を果たしたというのです。

現在はどうでしょう。家庭菜園が人気があり、東京都が断捨離動画を配信する。氏はこのコロナ下の光景が、当時の「新生活体制」の繰り返しに見えるといいます。そして市民自らが生活領域の統制に参加し、従うことに慣れてしまった社会の向かう先が気になるとのことです。

実は「新生活体制」の前に「自粛」があったというのが驚きです。パーマやカフェがやり玉にあがり、映画館の行列が白い目で見られるなど、今の社会とそっくりじゃないですか。

いま日本ではどのマスコミも「自粛」と「新しい生活様式」を一丸となって取り組み、コロナ禍を乗り切ろうという、気持ち悪いほどの一致団結を謳っています。そこにへばりつく「正しさ」がとても気持ち悪い、と氏は述べています。ヴィネも全くの同感です。しかしこういうヴィネもブログには書いても人前ではなかなか言いにくい。そういう社会の空気もギラギラした正義感が漂い気持ち悪い。

日本でのコロナの死亡率が低いことで、日本人の中には「自分たちの行動様式がスバラシイ!」「日本文化は優れている」といった精神論・文化論に帰結する風潮があります。台湾やベトナム、オーストラリア、ニュージーランドはもっと死亡率が低いのに・・・。政治家も大したことはやっていないのに自分の手柄にしようとしています。

そしてここからが特に言いたいことです。

いつかこの騒ぎが忘れ去られ、この時代を振り返った時、そろって「自粛」と「新しい生活様式」にまい進した愚かさが見えてくるのです。「あなたはその時どう行動したのか」と問われたときに「反対できる空気じゃなかった」と弁明するでしょう。それは戦争にあらがわなかった過去の日本人と同じなのだ。

みんな自分は正しい側にいると思っています。しかしそれは自分で考えての行動ではなく、上が言っていることをそのまま無批判に受け入れて一時的な安住の地にいるだけです。戦時中「鬼畜米英」「天皇万歳」と言っていた先生方が、戦後その舌の根も乾かないうちに「民主主義」を声高に叫んでいるのと同じなのです。

 

 

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テレビを見ていて思いました。

「出かけるなら高尾山かな」

経済活動が再開されて県をまたいだ移動が自由にできるようになりました。しかし旅館やお店では入る前に消毒させられたり、マスク着用を義務付けられたりしていい気分じゃありません。でも高尾山を登っている人たちはだれもマスクをつけていませんでした。やっぱこうでなくっちゃ。

旅行を楽しむのに「距離をとれ」とか、店はいるたびに「マスク着用をお願いしています」とか言われたくないし、店員がマスクとフェイスシールドつけて出てくると興ざめします。もちろん仕切りのある所で食事もしたくないし、そういう店がコロナ対策で努力しているなんていい評価もしたくない。

みんな本当にこんな社会でいいと思ってるんですかね。いい加減悪夢から目覚めて欲しいなあ。

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緊急事態宣言が解除され、一見普通通りの生活が再開され始めたように思いますが、個別にみるとまだまだ解決しない大きな問題を抱えているようです。海水浴場は再開の基準が厳しすぎてほとんどが今年の営業をあきらめています。ライブハウスもソーシャルディスタンスを保つとコロナ前の十分の一の客しか入れなくなります。レストランや飲み屋だってスカスカの客の入りではやってられないでしょう。

学校での生活はどうでしょうか?お互い距離をあけて座り、食事も向き合ってはいけない、会話してはいけない。とてもかわいそうです。体育ではマスクしなくていいことになりそれは一安心ですが、音楽の授業はどうでしょうか?歌を歌ったり笛などの吹く楽器は使えるのでしょうか?

スポーツの現場もコンタクトスポーツはいつ再開したらいいか悩みますよねえ。ランニングは一人一人が「マスク必要ないんじゃねえか」と早く気づいて欲しいです。走り方まで専門家に指示されたくないです。でも大会開催はいつになったらできるのか不透明です。個人的にはスタート前の長い待ち時間がなければ問題ないと思っています。

ヴィネはこれまで飛沫感染と接触感染対策だけされて、空気感染に関しては深入りしてこなかった専門家に大きな責任があると思います。おそらく空気感染に対しては何もアイデアがないから、反動みたいに飛沫と接触感染対策であれもやれこれもやれとてんこ盛りにして、やった気になっているんじゃないかと思っています。
以前にも言及しましたが、マスク、フェイスシールド、アクリル板の仕切り、ソーシャルディスタンシングはいずれも飛沫感染予防です。これを何重にもやるのは負担ばかり大きくなります。
そして飛沫感染は咳、くしゃみ、大きな呼吸、大きな声での会話、で発生します。口を閉じていれば飛沫感染は起きません。鼻からの呼吸で発生するのはもっと小さい粒子、つまり空気感染のはずです。だから待合室、音楽を静かに聴くホールなどではマスクも仕切りもソーシャルディスタンシングがなくてもクラスターは発生しにくいです。

接触感染予防でヴィネが不必要だと思う行為は、長期休業後の店舗の再開に際して店内を消毒する行為です。コロナウイルスはプラスチックの表面で3~4日感染力を保つと言われています。これは3~4日経ったら感染力は失われるということでもあります。ということは1週間も店を閉めていたらコロナウイルス感染は起きないということになります。無駄な手間と消毒液の費用を省けます。
また接触感染に関して、NHKに文句を言いたい。あの蛍光塗料を使ったシミュレーションは国民を欺く行為だと思われます。まず蛍光塗料をコロナウイルスと仮定するところが大きな間違い。どうしてそれでいいとしたのか信じられません。単に映像でわかりやすく見せたいというNHKの都合だけです。あの映像は単に手あかがどこに残るかの映像であり、一人の患者から広範囲にコロナウイルスがべとべと塗りつけられるということにはならないのです。NHKの罪は大きすぎます。

外は最高の通気環境にあります。これまでの対策で手が付けられていない空気感染対策はとにかく通気です。外での活動は基本何の制限もする必要はないです。
これまでにクラスター感染を起こした環境を考えれば、どんな環境が危険かがわかります。ホストクラブ、キャバレー、屋形船、カラオケ、スポーツクラブ。医療機関を除けば3密だけではなく、そこで大声を出す環境、ハーハー息を切らす環境が問題なのはすぐわかります。またこういう環境はソーシャルディスタンシングを保ったりマスクしたりシールド設けたしたら営業できません。
そこで必要なのが高性能な換気システムです。これまで2か月余り営業自粛していた時が、本当は換気システム導入に伴う店内改修工事のチャンスだったのです。そうすれば緊急事態宣言解除後により早く普通の営業に戻れたと思うと、無駄な時間過ごしたなあと思いますよ。雀の涙程度の休業補償しても何の意味もありません。金のバラマキじゃなく、どう金を使うのか頭使うべきでしたね。

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コロナの感染対策では、飛沫、飛沫核、エアロゾル、微粒子なる言葉がきちんと区別して理解している人が少ないです。またきちんとその区別を理解した所で、実態と会わない区別だから、何をどうしたらいいかわからないのです。

どこがおかしいのかまず定義から説明しましょう。

飛沫はいわゆる口(鼻水出る人は鼻からも出ます)から出たしぶきのことです。大きさが(ここが問題なのですが)5㎛以上です。1~2メートル位飛んですぐに落下するとのことです。ちなみにウイルス単独での大きさは0.05㎛ですから相当小さいですねえ。
飛沫核はしぶきの水分が蒸発して小さくなり空気中を漂う大きさになったもので、大きさが5㎛未満。これを吸い込むことで感染するのが空気感染。当初専門家はこれを「特殊な状況でないと起きない」ので一般的には感染経路として認めてませんでした。今ではさすがにその存在を認めざるを得ないと思うのですが、公には認めていません。

さてここで誰でもすぐに気が付くと思います。5㎛で区切ってそれ以上なら地面に落ちて、それより小さければ空中に浮いてるの線引きってあまりにもご都合主義じゃありませんか?これは「37.5度の熱が4日続かないとPCR検査はしない」という杓子定規な思考と底辺でつながっています。研究者というのはきちんと数字で仕分けるのが好きなんですね。たとえ実態とかけ離れていてもそうしないと次に進めないのでしょうか?

一方エアロゾル感染というのもありますが、これははっきりした定義がないのではないかと思います。全体としてはどうも飛沫と飛沫核どちらでも空気中に浮いていれば、それを吸い込んで起きる感染と思ってください。ヴィネとしては5㎛で区切る飛沫感染と飛沫核感染より、エアロゾル感染のほうが実態と一致した表現ではないかと思います。なお、微粒子もエアロゾルと同じと考えられます。

さて問題はこれからです。エアロゾルは10分程度は空中を漂うという研究結果が出ました。もしかするともっと漂っているかもしれません。そしてエアロゾルはわずかな空気の流れで一気に拡散します。

このことから、感染予防対策や経済再開活動は、今までやみくもに一律禁止していたことから、個別で対応を考えることができる段階にきているはずです。しかしまだ政府は具体的な対策へと舵を切れません。背後にどうしようもない頭カチカチの専門家がいるからでしょうか。

次は具体的な次世代への対策です。

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コロナの流行で、様々な日常生活の制限を強いられています。

マスクの着用、手洗い励行、外出自粛、ソーシャルディスタンシング・・・

どれをとってもみんな本当はやりたくないものばかりです。でもそんなことをおおぴらに口に出しては言えません。みんな人の目を気にして行動しているようです。殺伐とした空気が流れていますねえ。もちろんヴィネは自分の信念にしたがって生きております。

政府の自粛要請に従っていないように見える人を糾弾する人たちがいます。
「公園で親子が騒いでいる」
「家族でスーパーに買い物している」
「手を消毒しないで私の荷物を触った」
もしかするとヴィネを見かけて
「マスクをしないで走っている人がいる」と通報している人がいるかもしれませんね。

まるで「自粛警察」ともいうべき人が現れたのはなぜなのでしょうか?新聞記事に甲南大学文学部教授田野大輔氏の意見が掲載されていました。氏によると、

政府という大きな権威に従うことで、自らも小さな権力者となり、存分に力を振るうことに魅力を感じているのだというのです。権威の後ろ盾のもと異端者に正義の鉄槌を下すことで、普段なら抑えている攻撃衝動を発散していたのです。

なるほど、自分は論理的な根拠を持っていないので一人で戦うことはできないけど、権力が言うことを盾にして言うのなら強いバックボーンを得たと勘違いしちゃうのですね。正しい知識を得るには時間がかかるしそれを理解するには知性も必要だが、権威が言っていることを自分の意見にしちゃえば手間暇かからず安上がりで権力者になれるってわけですね。

実に明快で腑に落ちました。
2月の医師会の理事会でヴィネが「以前からWHOはマスクには予防効果がないといっていますよ」と発言したときに「先生のところから万が一患者が発生したら濃厚接触者として扱われますよ」と脅しにかかったあの医者も、自分の意見などなく、単に日本医師会が言っていたことをそのまま自分の意見として言ったわけです。あれだけ堂々と強い言葉でヴィネに言ったその自信は日本医師会の後ろ盾があったからなのですね。自分の頭では考えることができないちょっとかわいそうな人だったというわけです。

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皆さんは気づいていないのでしょうか?やっていることの多くが飛沫感染予防ばっかりです。

マスクにしてもフェイスシールドにしても透明板による仕切りも、ソーシャルディスタンシングも全て、飛沫感染予防でしかないことに気づいていないのでしょうか?いや、中には気づいている人もいるでしょう。

専門家もマスコミも「これって頭隠して尻隠さずだよなあ」と気づいているはずですが、あえてそのことには触れません。これが泥棒対策だったら「ドアの鍵だけ何重にして強固なものにしても、ガラス戸に何ら対策取っていなければ、泥棒は難なく入ってきますよ」とアドバイスできますが、コロナ対策ではそれができません。

その理由はコロナ流行の初めのころ「感染経路は飛沫感染と接触感染であって、特殊なケースで空気感染が起こる」と医師会も厚労省も言っちゃっからではないでしょうか?空気感染があると言っちゃうと、パニックになるかもしれないとでも思ったのでしょうか?(なお、中国ではすでに2月にエアロゾル感染の可能性があると言っていました。)

しかしさすがに感染ルートが特定できないケースが半分くらいあるとなると、だんまり決め込むわけ行きませんから、ニュースなどではエアロゾル感染のことをしばしば報道するようになってきました。

しかしエアロゾル感染を認めてしまうと、その予防法がないので今まで国民にマスクだ手洗いだ消毒だと、いろんなことやらせてきた国としては「さて国民に何を強制しようかな」と困ってしまうのです。
日本国民は権威をかざされるとそれになびきます。そして自分たちもまるで自警団のようになってほかの国民を監視したくなります。さも自分たちにもその権利があるかのように勘違いしたくなるのです。こうなってくると国の思うつぼ。まるで戦争の時のように一致団結して、それにあらがう人間は周囲の人間が懲らしめる。国はウハウハ。

さてエアロゾル感染対策ですが、簡単ですよ。換気ですから。そして最大の換気は「外出です」

ここが政府が触れたくない部分じゃないでしょうか。なんて言っても外出自粛、ステイホームと言っていたわけですからそれを真正面から否定することはメンツが邪魔してなかなか言えない。
そうなると、いったいコロナ対策って何のためやってきたのかわからなくなりますね。

 

 

 

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