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今までの ブログ の一覧です。

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2021年12月11日(土)
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2021年11月27日(土)

先日アンディと散歩して公園に行きました。滑り台で3歳くらいの男の子が遊んでいました。そばには母親とみられる女性がいました。
男の子が滑り台と滑ると、女性は手に持った小さな布か紙で手すりと滑り台の斜面を拭いていました。その直後女性はその場を離れました。再び戻ったときにはさらに大きな布か紙を手にして、やはり手すりと滑り台の斜面を拭き始めました。
男の子は体が小さいので、滑り台の階段を上るときに階段に手をついたりします。そして滑り台が飽きたのか、その周囲のロープを触ったりあちこち手を触れたりします。そのうちに走り出して石段に手をついてその上に立ちました。
諦めたのか、それとも自分の義務の範囲はここまでと決めているのか、母親は滑り台以外の男の子が触れたものまでは拭こうとしていません。

その光景を見ていて、ヴィネはいまだにダイアモンドプリンセス後の「ウイルスは〇〇の表面で〇時間生息している」という重箱の隅情報が拡散し、にわか専門家が消毒を感染防御の重要な手段と強調した、あの情報が国民を憑依したままなのだなあと感じました。

最近でも絶対ウイルスなんかいないと思われる椅子の座面を拭いている行為を見るたびに、「そこまでやるなら同じ頻度で壁も床も、そこにあるありとあらゆるものを拭かなきゃいけないだろう」と思うのですが、おそらくそれをやっている人は義務(もしくは何かに憑りつかれて)でやっているだけで、ウイルスがそこにいる確率なんて全く考えていないんでしょうねえ。
アルコールをしみこませた布で拭いて、消毒した気になっている人も多いようですが、そのしみこませたアルコールの効果がどれだけあるのかなんて全く考えていないでしょう。一度布に吹きかけたアルコールであっちもこっちも拭いても消毒効果が残っていると思っているのでしょうか。単なる水拭きと同じで、アルコールの無駄使いでしかありません。

ああ、日本人ってホント金太郎飴になりやすい民族ですねえ。

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ヴィネが転倒して鎖骨骨折した時に、「もう年なんだから、あんまり無理するなよ」と何人かに言われました。また、外来で患者さんが自分のことを「もう年だからなあ」というのを聞くことも多いです。

先日スイミングに情熱ををそぐ70歳近い女性と診察の時に話をしました。この方とは外来でトレーニングの話とか、食事の話とか雑談をよくします。その時に、この「年なんだから」について「こういう人の心理ってどうなんでしょうかねえ」と疑問を投げかけました。

「それはいいわけでしょう」とその方は即答。ヴィネも納得。
「じゃあ自分にじゃなく他人にそういうときの心理って何でしょうか?」立て続けに質問してみました。

その方もヴィネも自信をもって答えられませんでした。

ケガをしたり、どこか整形外科的な痛みを訴えて病院を受診すると、ほぼ確実に医者は単に休養だけを命じます。でももしそれがトップ選手だったり、プロだったりすると単に休養だけを命じたりすることはマズいと思うでしょう。もっともそういうアスリートは専門医に行くでしょうけどね。けがをした原因が何なのか、そしてそれを再び起こさないようにするにはどうしたらいいのか、ということまで対策を講じるはずです。
中高生がけがをしたときはそんな専門医を受診することができないから、近くの整形外科に行くでしょう。そして休養を命じられるはずです。ということは普通の医者は我々一般人のケガにはそんな関心はなく、『やすんでりゃそのうち治るよ』という心なんではないでしょうか。

そんなことから演繹して考えると「年なんだから」とケガした人に言うその心理は、けがをした人へのとりあえずのあいさつみたいなもので、「私はあなたのケガに対して配慮しているよ」的な社交辞令ではないでしょうか?これは目の前でつまずいたりした人に「大丈夫?」と声かけるだけで、手を差し伸べたりはしない人と同じなのかもしれません。

かといって「年なんだから」という人を非難しているわけではありません。整形外科医が「休みなさい」というだけなのをも非難したりしません。整形外科医はすべての関節や骨の専門家ではないからです。もちろん膝の専門医がスポーツで膝のケガをした人に休養だけを命じるのは手抜きだと思います。一般の医師は中年以降のスポーツでケガした人へのアドバイスを持っていないから仕方ないのです。

ちなみにヴィネは決して自分にも他人にも「年なんだから」とはいいません。
「年なんだから」と自分に対して言うことはいいわけであり、努力をしない楽なお花畑に寝転がることへいざなってしまうからです。もちろん若い時よりパフォーマンスは落としますが、それでも工夫をしながら努力を続けることは必ず将来にメリットをもたらしてくれるはずです。
また他人に「年なんだから」ということは、その人がその言葉を素直に受け入れる人ならいいですが、そうでなかったら失礼に当たります。またそれを言うということはヴィネがそのケガを回避するための手法を知らない無知な医者ということになるからです。

ヴィネならけがをした原因は何だったのか、また今後同じことをしないためにはどうしたらいいのかということを話すでしょう。ただし、そんなことを聞きたくない人もいるでしょうから、そういう人には「それは大変でいたねえ」的なことを言うだけにします。

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昔ファイルした医療関係の新聞記事を見て、ある感慨に浸りました。

平成12年の記事には
癌研附属病院で手術不能のがん患者に別の治療の選択肢を与えずに強い抗がん剤の治療を行った。しかしこの医師の頭の中には抗がん剤が効いても5,6か月の命だという認識があったが、そのことは患者側に伝えていなかった。そして主治医の指示ミスで定量の3倍の薬の投与をして副作用で死に至った

ある専門家の意見として次のようなコメントがありました。
残された時間が限られているがん患者の場合、抗がん剤を使う場合と使わない時のメリットデメリットについてきちっと説明すべきだ。それはもはやマニュアル化されてもいいくらいに当然のことだ。患者に説明しないことは患者の選択肢を奪うことになり、がん治療の倫理的な面から言って大きな問題だ。

インフォームドコンセントという言葉を初めて耳にしたのは1986年のことでした。それから14年もたったのに、日本のがん治療のトップ機関でまだこのような考えだったとはヴィネは当時でも驚きました。ヴィネ
は身内が医療機関受診した際に、説明不足と感じる経験をしたことはありません。最近はがんでも隠すことなく患者に告知しているようです。そしてオペの時もそのネガティブな面も説明しています。その点ではこの20年改善したなあと思います。

しかしがんが再発して抗がん剤治療に移行した時は、この20年ほとんど変わっていないというのが実感です。患者はボロボロになるまで抗がん剤治療を受けて、その後「あとは在宅で」と手放されることが多いというのが、在宅医療にかかわって感じたことです。これが変わるにはあと20年の時間が必要なのでしょうか・・・。

 

 

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ヴィネはほとんど食べたことがありませんが、昔を思い出して「ああそうだったなあ~」と感慨に浸りました。

マックに限らずハンバーガーを包む素材は、わざとカサカサ音が出るものにしているというのです。その理由がなんと、カサカサ音が食欲をそそるから問というのです。

信じられますか?でもヴィネは「なるほど納得」と思いました。
というのも、アンディ君が食べ物の包装紙やビニールの音にとても敏感なのです。

カサカサ、と音を立てると垂れた耳を少しだけピックっと動かして首を持ち上げます。その後ヴィネが手を止めて音を出さなくしても数秒後にはヴィネのところに走り寄ってしっぽを振るのです。(アンディは特に食に強い関心があるからかもしれません。ほかの犬はどうなのでしょうか)

人も犬もカサカサ音に食欲を刺激されるのは同じなんですねえ。

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このコロナ禍でも欧米でのマスク着用率はかなり少ないです。

兵庫県では25歳の男がマスクの未着用を注意されたのに腹を立て、頸椎(けいつい)損傷の大けがをさせるという事件が起こりました。

民放でMCが「どこかでマスクはやめましょうというのを決めておかないと、日本人ってすごく真面目だから、ずっとマスクしなきゃいけないんじゃないか?」橋下元大阪府知事に聞きました。その時の橋下氏の発言はポイントを得ていると思いました。

「本当は国民個人個人が自分で合理的な判断をすればいいというのが、きれい事で理想論なんですけど、現実、できないですよ。日本人のように周りを気にしながら同調圧力に弱いのをマイナス面と捉えるか、ある意味、プラスに作用して、感染対策が義務化なくても、みんなやってきたところがあるわけです。これは日本の国民の特徴を素直に受け入れて、どこか政治というか専門家がマスクについては『もう、いいんじゃないの』と言わないと、ずっと日本国民は周りを気にしてマスクを着け続けますよ」

同調圧力の嫌いなヴィネはマスクをつけたくない派です。それは、単に感情的なものではなく医学的根拠に基づいています。日本の現実は医学的根拠を離れて、「気持ちの問題で」つけている部分が大きいです。特に外での着用は多くの場合無駄です。

一部の専門家は戸外でのマスクの着用は必要がないといっています。まずそこから規制を緩めていくべきでしょう。また、教育施設のスポーツの場でもマスク着用はやめるべきです。さらにマスクだけではなく、テーブルやドアノブ、遊具などのアルコール消毒もほぼ無意味ですのでやめて仕事量を減らすべきです。今の感染状況なら給食の時間の対面食事は可能です。

戦争と同じで開始するのは容易でも、一度決めたことからやめることの難しさを感じます。

そうしないとコロナが収束しても日常はどんどん遠ざかりますよ。

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1980年代は日本の名ランナーを多く輩出した時代です。その中でも中山は瀬古に強烈なライバル意識を持ち、2年連続オリンピック4位でゴールした、世界的に有名なランナーでした。

福岡国際マラソンが今年で最後になるのに際して、新聞のインタビューに掲載されました。彼によると最近の日本人ランナーにはプロ意識がなさすぎるというのです。日本記録は上がったが、競技力が弱いと指摘。さらには市民マラソンに対しては「7時間もかけて走るのがマラソンなのかな?」と気に入らない様子。「マラソンは人生なんだから98%の完走率とか楽すぎるでしょう」と手厳しい。

怪我で大会を欠場した瀬古に「這ってでも出てこい!」と言った、中山のストイックな思考がいまだに変わらないのに、ヴィネはニンマリ。確かに速足で歩いても7時間で35キロ行けますから、そこにちょっとジョグ加えただけでゴールできます。ましてや練習せずに大会出て何とかゴールすることが本来のマラソンの精神からは逸脱しているのではないかと、ヴィネも思います。

しかしマラソンに対してはいろんな考えがあってもいいと思います。国際大会と市民大会は別ですから、7時間でゴールして達成感感じる人がいてもいいでしょう。そのあと完走パーティーで酒飲んでもいいでしょう。そこにいろんな商売の人が絡んできてもいいでしょう。

でもヴィネは思います。

「参加賞って意味あんの?」

参加しただけでなんで賞????

しかも相も変わらずTシャツばかりで工夫なし。そのお金チャリティーに回したらどうでしょうか?障碍者スポーツとか、子供食堂とか、SDGsとか・・・

 

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幕張の宝くじ売り場で、ロト7でキャリーオーバー含めて10億円の当たりが出たとのことです。うらやましいと思いますが、果たして10億円手にしてまっとうな考えをしてられるか、ヴィネも自信がありません。多くの人がその後の人生を堕落の道へと落としていると聞いてわかる気がします。

1億円までなら、おそらく有効な使い道を考えて人生も花開くでしょう。しかしそれ以上は争いのもととなりえます。ヴィネだったらそれ以上のお金は寄付か、自ら慈善事業を興しますね。

そんな話とは無関係だと思いますが、おととい朝6時40分頃、アンディの散歩に家を出ると、

ん?ん??

あそこにあるのは・・・、ななんと!!

1000円札じゃないですか!?

朝方まで降り続いた雨にしっとりと濡れて路面に張り付いています。
無意識にあたりを見回しました。誰も見ていないか・・・・・?

いえいえいえ、落とした人が探しに来ていないか、です。

そしてよーく、見まわして(その日は風が強かった)さらに2枚。合計3000円を拾いました。

いつ落としたんだろう?誰が落としたんだろう?

おそらくポケットから何か出すときに落としたんじゃないかなあ。落としたあと、ヴィネが第一通行者ではなかった可能性はあります。最近の人は携帯見ながら歩きましからねえ。

さて、皆さんが一番気になるところですが、それをヴィネがどうしたかです。

トーゼン!(きっぱり)

ポケットに入れました。つまりネコババした!

のわけないでしょう。善良なる市原市民!ポケットに入れたけど、それを当然交番に届けましたよ。高々3000円、盤石なるヴィネ財閥ですからそよとも風が吹きません。もちろん落とし主があらわれても、ヴィネのことは伏せてもらって、お礼もいりませんとしました。

以上、10億円に比べてとてもしょぼい話でした。

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この半年で急な階段をかけ落ちるような減量をして、もう半年前の半分になりました。

当然体重のことではありません。コロナの抗体価の量の話です。

5月25日に2回目のワクチン接種して、7月12日に抗体価748、その後545、478、と減らして、12月6日は382。おそらく1月末(2回目接種から8か月後)はもう予防効果ほとんどなくなっているんじゃないでしょうか。確かに8か月待たずに6か月で打つというのもありかなと思っちゃいました。

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今日、整形外科受診してきました。

結論から言えば、一番程度の良い骨折で、オペの必要性はないとのこと。
一か月くらい鎖骨バンドをして負荷をかけないようにすればいいとのことです。

よかった~

今までは夏休みとか連休を利用してオペができましたが、今超多忙で一日たりとも休めませんから。

オリンピック選手でもランニング中に転倒します。でもヴィネの転倒は右足が上がっていないことが原因で、それは以前から自覚していました。ランニング中の転倒は勢いがついていますから大けがにつながります。本格的に気を付けないといけないよなあ・・・・。

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専門用語というか業界用語というか、医療の現場ではムンテラという言葉をよく使います。特に大きな病院では医療従事者の間で頻用される言葉の一つだと思います。

ムンテラというのは口(mouth)を意味するドイツ語(だったかな?)とテラは治療(therapy)から来た言葉と思っています(間違ったらごめんなさいググっていません)。意味としては病状などを説明するときに使います。例えば

「ちゃんと家族にオペのムンテラしておいてね」とか「末期がんだからシビアにムンテラしておかないと・・・」とかです。

このムンテラから、ムンテラマイシンという派生語があります。ムンテラにカナマイシン、ミノマイシンなど抗生物質によく使われるマイシンをつけた言葉です。意味としては患者さんへの説明によって薬と同じくらい、時にそれ以上の治療効果をきたすような説明のことをさします。

例えばこんな症例があったとします。決して珍しくはないですよ。

通常の治療には反応せず、多くの科の専門医の診察を受け、CT,MRIなどの高額な検査を受けても原因の端緒もつかめず、いろんな薬を使っても改善せず、その都度「気のせいです」「年のせいです」「精神科に行った方がいいかも」「今の病状を受け入れることですね」などと終止符を打たれちゃって、毎日病気のことが頭から離れず、生活の質が落ちてしまう状態。

こんな時に、ある医者が今までとは全く別の視点からある指摘をしたとします。患者さんもその時「あ、今まで自分は病気と闘うことばかり考えてきたけれど、それがかえって悪循環を生む要因だったのじゃないかな。もうすこし見方を考えてみようか」と気づくことができ、その後次第に病状が改善に向かう。 患者は「これまで高額な検査を何度も受けて、様々な薬を使ってきたのはいったい何だったのだろうか?」と過去を思う。

この医師が非常に有能でこの患者の病気の真の原因についての知識があったわけじゃなく、ただ今までのこの患者の治療歴を知り、「専門医がここまでしてやってきたんだから同じ道を歩んでも、この病気は治らない。この患者はここまで長年病気に振り回されてきたんじゃ相当精神も疲れているだろう。ここでいったん休んだ方がいいだろう」と思っただけかもしれません。しかしヴィネはこれこそがムンテラマイシンではないかと思っています。
ヴィネもこんな気の利いたムンテラができるようになりたいと思っているのですが、凡医にはなかなか手の届くところではないです。

患者を前にすると医者は専門的な知識からアプローチしていきます。しかしその過程で病因がわからなかったり治療が奏功しないと、なかなか方向転換ができないのです。自分の専門領域を離れるときは、別の専門領域に紹介するときです。

ムンテラマイシンの定義があるわけじゃなく、自分でこう勝手に思っているだけですが、次のようなものはムンテラマイシンとは言わないと思います。

例えば癌の術前の説明で、そのがんの悪性度、5年生存率、一般的にすすめられているエビデンスのある治療法を説明し、今回もそのエビデンスにのっとってオペする旨を伝え、オペや麻酔に伴うリスクなど不都合なことも隠すことなくすべて説明して、患者さんの同意を取る。この時の丁寧な説明はムンテラマイシンではなく単なるムンテラです。単に医療者側から見たマニュアルに沿った治療の説明をしただけですから。

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