老子の言葉に「無用の用」という格言があります。
一見役に立たないようなものでも、見方を変えれば役に立っているという意味です。
樗木(ちょぼく)という木がありますが、根元が節くれだって枝も曲がりくねって用材にならないので放置されてどんどん大きく育ちます。すると夏にその下で日陰を楽しむ人が出てきました。さらに台風の時に周りの木が倒れたのに、樗木は根がはびこって倒れなかったばかりか、周囲の木が倒れるのを支えたといいます。
こうして建築用材としては何ら役に立たず、無用とされていたものが、見方を変えれば有用なのだというありがたいお話です。せっかちでなんでも金勘定する現代人には特に説教してやりたい格言です。
話変わって「不潔の潔」
今の世の中、何触っても「不潔だ」「コロナがいるかもしれない」と消毒手洗いを(他人に、さらには自分自身に)押し付けています。いまだにNHKは指を握るようにしてぐりぐり洗ったり手首まで洗ったりする映像を流して、勝手に「これが今の時代の正しい洗い方だ」と言わんばかり。テレビ番組も「ちゃんと対策してますよ」のアピールでしょうか、芸能人がみんな手の消毒をしてドアノブを握るシーンを見て不愉快になるのはヴィネだけでしょうか?
当院には洗いすぎで手荒れになった人がいらっしゃいます。ガサガサしてところどころ亀裂が入って痛そうです。こういう人に保湿剤なんて塗っても焼け石に水。本来人の肌に備わっている天然の保湿成分のセラミドまで手洗いし過ぎではがしておいて保湿剤はないだろう。
でもこういう人たちは自分たちは一生懸命清潔に保とうと努力していて、まさか自分の手がとんでもなく不潔だとは思わないでしょう。しかし手荒れの手には大量の細菌が繁殖しています。特に亀裂の入っているところは亀裂から染み出る体液を栄養源に、大量の細菌が増殖しているのです。まさに手が培養装置になっているのです。
似たような話はアトピー性皮膚炎(AD)でも言えます。重症ADの人はかゆみが強くひっかき傷がたくさんです。そういう人の治療としてイソジン療法というのがあります。一日3,4回イソジン液で消毒するのです。するといくらステロイド軟こう塗っても治らなかった症状が見事改善することもあります。
手洗いはしないほうがむしろ手の肌の健康にはいいのです。本来手には皮膚を弱酸性に保ってくれる常在菌がいます。手洗いするとそれらも流されますし、消毒でも死にます。
「手の皮膚健康には洗わないほうがいいのはわかったけど、コロナも怖い」
そうですか、しかし現代人の頭の中には「手の皮膚健康」より圧倒的に「コロナへの怖さ」が勝っています。だからいくらこういう説明をしても、手洗いをやめることができないのです。そこでヴィネは言います。
「不潔の潔」を知れ
ろくに手洗いしない一見不潔そうなヴィネの手と、あなたの手ではヴィネの手のほうがずっと清潔なのです。