よく大活躍した人の情報などに触れて「勇気をもらった」って表現することがありますが、ひねくれヴィネはこれを聞いていつも違和感に見舞われます。
例えばイチロー選手の活躍に触れて、野球ファンが「勇気をもらいました」という時って「その勇気」もらってその後どうしたの?って突っ込みたくなります。もし高校球児ならイチローの活躍から「よし俺だって甲子園目指そう」とか「勇気をもらった」その後があると思うんですが、そうじゃないサラリーマンあたりが、イチローから勇気もらって「おっし、じゃあこの商談何としても成功させよう」って風に思いますか?せいぜいそのあと盛り上がって仲間と飲み屋に繰り出す程度じゃないですか?
勇気をもらったっていうくらいなら、そのあと今までやろうと持っていてもなかなか手を付けなかった大正琴をマスターしようと一念発起するとか、ヴィネのブログをただ面白半分見ていただけなのを、「いちいち正しいこと言うよなあ、これをへらへら読んでるだけじゃあ今の自分は変わらない。よし今から『うまいはこわい』『SOS』『サラダは空気』を実践しよう」と勇気をもって生きる力にするとか、何か上昇志向で努力しようとするエネルギーに結びつかなければ、「勇気をもらった」は言ってはいけないのです。(一部脱線)